●ラファエッロはルネサンスを体現した人物である
それでは、次は3巨匠の2人目、ラファエッロを取り上げます。
ラファエッロは「ルネサンスの完成者」とご記憶ください。まず、われわれ美術史家が参照している美術史の時代区分には名前があります。例えばロココ、印象派などです。その中でルネサンスの時期区分は、はっきりと決まっているわけではないのですが、便宜的に1401年から1520年までの120年間としています。なぜ1520年がルネサンス最後の年だと見なされているのかというと、この年は彼が亡くなった年だからです。一人の人物の没年が時代区分の境目に使われるというのは、世界的にも彼しか例がありません。それぐらい重要な年として記憶されるほど、彼はルネサンスを体現した人物だということなのです。
●3巨匠はいずれも、幸福な幼少期を送っていなかった
3巨匠の中では、ラファエッロは最後に生まれます。しかし、ミケランジェロのほうがはるかに長生きをしますので、こういう順番になります。彼は、ウルビーノというイタリア中東部にある小さな宮廷都市で、宮廷画家の息子として生まれます。
しかし、彼は幼い頃に両親を亡くしてしまいました。レオナルド・ダ・ヴィンチは実の母が別のところで結婚してしまったので、離れて暮らしましたが、ミケランジェロは幼い時に母が亡くなりました。そのため、法則でもあるのかどうかは分かりませんが、必ずしも幸せで順調な幼年期を送っていないことが、この3巨匠の特徴です。
さて、ラファエッロはペルジーノという画家の弟子となります。ペルジーノは、ヴェロッキオ工房でレオナルド・ダ・ヴィンチの兄弟子のような存在でした。彼はレオナルド・ダ・ヴィンチの同僚だったペルジーノのお弟子さんなので、1世代ほど差があるということです。さらに、ミケランジェロの先生のギルランダーイオも、一時期ヴェロッキオと関係があったので、ヴェロッキオはすごい先生であることが分かります。3巨匠につながる人たちを全員育てたようなものです。
ですから、先生の影響は非常に大きいといえます。例えば、上に挙げた右の絵は、ペルジーノがバチカンに描いたものです。それに対して左の絵は、ラファエッロの『マリアの結婚』です。比べてみると、中央の奥に古典風な建物を置き、そしてはるか手前に一列に人物を並べる構図は、非常によく似ています。まずは親方である先生の様式を勉強して、それを自分のスタイルにしていったことが分かります。
●ラファエッロはさまざまな人の技法を自分の作品に生かした
そしてラファエッロの大きな特徴は、3巨匠の中ではおそらく一番、人格的に優れ人当たりが良かったのでしょう、あまり敵がいなかったということです。そのため、彼はいろいろなアトリエに自由に出入りしました。例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチが『モナリザ』を制作中にたまたま彼もフィレンツェにいたのですが、彼はその『モナリザ』を見て、このようなスケッチを残しています。お分かりでしょうか。この手の組み方や顔の向きがよく似ています。おそらく記憶をたどって描いたと思うのですが、ちゃんとバルコニーの両側に円柱があります。これも『モナリザ』と同じ構造です。
こういうものを描いて、彼はそれを自分の作品に生かします。例えば、この1番左は、『一角獣の貴婦人』という彼の作品です。これも同じような形をしていますよね。レオナルド・ダ・ヴィンチの作品は非常に少なく、大変傷んでいたり、また王室のコレクションに入っていたりするので、一般の目に触れることがほとんどありません。唯一の壁画である『最後の晩餐』は人が見ることができるのですが、それももうほとんどカビで真っ黒です。そのような状況でしたので、レオナルド・ダ・ヴィンチの様式はむしろ彼によって一般に広まっていったということです。
●ラファエッロの作品は、古代の忠実な再現である
ラファエッロは古典の復興であるルネサンスの体現者ということで、彼の作品を見るとそれが分かります。例えば、『三美神』という作品には美しい3人の美神がいます。見ていただくと、中央の1人が背中を向けていることが分かります。
これには明らかにモデルがあります。というのも、古代に三美神という彫像があるのです。これだけではありませんが、数多く伝わっているもの全て、真ん中が背中を向けて...