●ルネサンス美術はマザッチョから始まった
それでは、マザッチョという画家から始めましょう。この名前を耳になさったことがある方は、あまり多くないかもしれません。しかし、多くの美術史の教科書において、ルネサンスのページは、このマザッチョから始まります。それぐらい重要な画家なので、一緒に見ていきましょう。ここではとにかく、彼がルネサンス絵画の創始者であるということを、ご記憶いただきたいと思います。
●出発点となった、経済都市フィレンツェ
やはり、ルネサンスが始まったのはフィレンツェでした。フィレンツェは、もともと産業がない地域でした。土地には主な資源がなく、当地の人々は加工貿易で富を蓄積しました。特に生糸を今のベルギーあたりから輸入して、彼らのやり方を見て、見よう見まねで付加価値のある繊維を作り、売っていたのです。そうした加工貿易で活路を見いだした点で、われわれ日本としては、少し親近感がわくような感じもします。彼らはそれした加工貿易によって得た利益を、さらに金融業に投資して、ヨーロッパで最も経済的に豊かな町をつくります。
そこに登場したのがマザッチョでした。残念ながら、彼は26~27歳の時に亡くなってしまいます。原因はおそらくペストでした。そのため、彼の作品数は非常に少ないのです。それも壁画がほとんどなので、日本には持ってこられません。ということで、日本ではあまり知られていないのです。
とにかく、もしフィレンツェに行かれる機会があれば、2カ所お薦めしたいところがあります。1カ所はわれわれ美術史家にとっての聖地である、有名なブランカッチ礼拝堂です(もう1か所はサンタ・マリア・ノヴェッラ教会)。
これは学生さんたちと一緒にフィレンツェに行った時に撮った写真です。お分かりのように、このブランカッチ礼拝堂は、20人も入ればいっぱいになってしまう大きさの礼拝堂です。サンタ・マリア・デル・カルミネという教会の中にあります。この壁画装飾は、3人の画家によって手がけられました。1人がマザッチョ、そしてもう1人がマゾリーノです。この2人はおそらく兄弟弟子ぐらいの関係なのですが、一緒に呼ばれて、同時に2人でこの壁画に着手します。しかしその後、先ほど申し上げたように、マザッチョが亡くなります。そのため未完成の部分がかなり残ってしまったので、後にフィリッピーノ・リッピという、ボッティチェッリの弟子が、最後に仕上げました。こういうわけで、3人の手が入っています。
●マゾリーノにはない、マザッチョの絵画の3つの特徴
そこで見ていただきたいのは、縦長の礼拝堂の1部分、特にこの2カ所です。柱の少し突き出たところにある壁面が、真向かいに立っています。そしてマゾリーノとマザッチョがそれぞれ、1面ずつ担当しています。主題はどちらもアダムとイブです。少し見ていきましょう。左側を担当したのがマゾリーノで、右側を担当したのが先ほどから名前が出ているマザッチョです。
左側は原罪を犯す場面を表しています。要するに、神が「食べちゃ駄目だよ」と言っていた、禁断の実を、まさに食べてしまうところです。右側は、それによって楽園であるエデンの園から追放されるシーンです。マゾリーノももちろん重要な画家なのですが、マゾリーノの絵の中にはなく、マザッチョの絵の中にある、重要な要素が3つあります。その3つによって、マザッチョは最初のルネサンス絵画を描いた人物であると見なされるようになったのです。その内容を私が申し上げる前に、どの3点かなと、少し考えてみてください。
では答えを申し上げます。
まず足元を見ていただきたいのですが、影があります。左側のマゾリーノの絵にはありません。マザッチョの方は、この狭い画面の中で、奥行きを出そうとしています。「遠近法」を使っているのです。遠近法とは、ルネサンスの発明品なのですが、ここでそれが出てくるのです。
2点目は、マゾリーノの描くイブを見ると分かります。もしこのプロポーションのままの人物がここに立っていたら、少し不気味ですよね。要するに、実在の人物ではあり得ないようなプロポーションをしているのです。その一方、マザッチョが描いたアダムを見ていただくと、非常に正確であることが分かります。この違いから分かるのは、マザッチョは明らかに、実際の人物をモデルとして裸で立たせ、スケッチして描いたであろうということです。つまり、人体理解を追究しようとしていたということです。
...