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55年体制も裏でつながる一元論…即興には共通の土俵が必要

伊福部昭で語る日本・西洋・近代(8)分断と対立を超える知恵

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家
情報・テキスト
映画「ゴジラ」(1954) ライヴ・シネマ形式全曲集
(和田薫 指揮 日本センチュリー交響楽団 〈アーティスト〉 )
戦後、日本には歌舞伎的二元論、あるいは演劇的二元論といって、例えば表では55年体制とか、進歩派と保守派の対立とか、労使の対立などがあるけれども、裏でつながっている、根底では同じ日本のイメージのようなものが共有されている、つまり一元論的な価値観が生きている状態だった。しかし、冷戦構造の崩壊後、分断が起きて、根っこもまったく共有されないような世の中になってきた。それが現代の日本の行き詰まりを生んでいるといえる。であれば、その共有基盤を復元できるのか。またどのように復元するのか――。打開に向けた糸口を探る。(全8話中8話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:11:38
収録日:2023/09/28
追加日:2023/12/30
カテゴリー:
≪全文≫

●55年体制も、根っこはつながっていた


―― これはおそらく戦時中に、伊福部昭さんにしても誰にしても、真面目に考えていた。国にさせられるということではなく、おそらく本当に真剣に真面目に考えていた。戦後の日本においても、形は擬似二大政党のようになっていて、自民党と社会党があって一見、バチバチやっているわけですが、裏では国対で手を結んでいる。

片山 はい。55年体制ですね。

―― 表では演じる部分があって、裏では必ずホットラインがあり、どこまでで収めるかなどを実際問題として調整しながら、アメリカの圧力、ソ連(当時)の圧力をうまくかわしつつ進めていた日本があった。ある意味で戦時中の経験が生きていた。

 日本の企業においても、経営者側と労働者側で一応、組合があって、経営者がいるけれども、裏のどこかでつながっている。二元論なのだけれども、実は歌舞伎的二元論というか、本当は一つなのだという状況だったと。

片山 深層においては同じものだということですね。争っているように見えるけれども、本体は日本ならその日本があると。

―― そういった社会を、特に戦後の日本はつくっていた気がします。全てではないにしても、そのような類型があった。今、むしろその社会が少し崩れ出している。歌舞伎ではない二元論といいますか、社会が分化してしまっている、あるいは割れてしまっているケースもあるように思えます。

片山 まったくおっしゃる通りだと思います。これを今日の伊福部さんの話に寄せて考えれば、いろいろと即興で1人ひとりは紡いでいくのだけれども、その即興で紡がれたものを皆が「なるほど」と受け入れられる共通のものがあるから、その上にバラエティが成り立つわけです。

 話が飛躍するかもしれませんが、55年体制でも、社会党と自民党では全然違うだろうと思うけれども、自民党も結局、修正資本主義的な方向で、社会主義のいいとこ取りのようなことをずっと行っていく。まさに国対政治で、「こちらのほうは通すから、そちらのほうはよろしく」といったことで物事を進めていく。それは、もともと価値観が水と油ではなく、戦争中の統制経済的なものを当時の自民党も社会党も経験として共有しているわけです。そこにどれだけ比重をかけるか程度で、「そちらのほうがうまくいく要素がある」ということを共有しながら、バラエティをつけていく。

 だから、表では進歩派と保守派の対立、労働組合とか、労使の対立などがあるけれども、根底では同じ日本のイメージのようなものが共有されている。枝分かれしているけれども、根っこでは同じものが共有されている。つまり分断されていないわけです。


●皆が共有していた土俵がなくなってしまった


片山 川上さんがおっしゃったように、演劇的に戦って見せることによってドラマとして1つひとつ落着していくわけですが、そのドラマは「ここに決着する」ということが(そのときどきの課題にもよるけれども)共有されているわけです。

 共有されている中で、例えば二大政党なら二大政党、自民党と社会党ならその関係で、それぞれの支持層などを背景にして、落としどころを互いに分かっていながら演劇をし、「それで落ち着きました」とするわけです。

 これが冷戦構造の崩壊後、本当に分断が起きて、根っこもまったく共有されないような世の中になってきた。今日の話とはまたずれるかもしれませんが、同じ日本、同じ教育、同じ価値観、東洋の風土とはこういうものだ、日本の風土とはこういうものだ、日本の文明とはこういうものだ、といったことについて共有されている底辺や土俵があるから、その上で多様性が成り立つのです。

 その土俵が、悪い意味でのグローバル化で、同じ日本人でもまったく共通するものがない。風土、農村、米とか、あるいは日本酒を飲むとか、そういったムラ意識的な共同体もない。企業や組合などにある程度ダブって継承されていたものも全て契約社員だ、アルバイトだ、自由な労働市場だなどと言って、何も価値観が共有されない。仲間意識もない。そのようになっていく中で、本当に多元化している。

 戦前の日本のインテリが西洋文明に感じていた限界――要するに神と人は絶対に一緒になれないから結局、人は満ち足りることを知らず、それぞれが自分の利益を求めて、「俺のものだ、俺のものだ」と争う。それを免れる要素があった。岡倉天心的なものをまだ理解して、何世代かはつながっていた。そういった感性が切れたところで、日本は壊れてしまったのです。

 そして、日本的な良いところは全部なくなり、ひたすら「日本型〇〇」といったものはネガティブなものしか残っていないかのようになる(実際ネガティブなことが多いと思いますが)。

 しかし、例えば日本型の経済の運営、政治の運営といったことで皆が...
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