●日本的であるけれども民謡ではない楽曲
片山 戦争中に演奏された伊福部昭さんの曲の中でも、演奏回数が飛び抜けて多かった曲があります。昭和18(1943)年に、日本国内のコンクールで1位を獲って、すぐにSPレコードになり、また日本のオーケストラ音楽として素晴らしいものだという国家のお墨付きである「文部大臣賞」をもらうなどしました。そうして広く流布した曲に「交響譚詩」があります。
―― 少し聴いてみましょう。第1楽章をかけたいと思います。
(音楽:「交響譚詩」挿入)
―― ただいまの演奏は、「譚-伊福部昭 初期管弦楽 伊福部昭の芸術1」、指揮は広上淳一さん、日本フィルハーモニー交響楽団の演奏でした。
今、聴いた曲もそうですけれども、例えば「日本の民謡を曲にしています」「お祭りをそのまま曲にしています」ということではなく、かなりオリジナリティが高いのだけれども日本的である、という形ですね。
片山 そうですね。例えば日本的な民謡というと「木曽節」「ソーラン節」、あるいは「五木の子守歌」などの有名な民謡、子守歌やわらべ歌などのメロディをそのまま使っても、もちろん日本的にはなります。フランスの作曲家も、ドイツの作曲家も、ポーランドの作曲家も、ロシアの作曲家も、ストレートに民謡を使った曲はたくさんあるわけです。
―― そうですね。ストラヴィンスキーもロシア民謡をよく使っていますよね。
片山 そうです。だから、そういうやり方で民族的なものを表現することは、外国の作曲を含めて、当たり前といえば当たり前なのです。伊福部さんもそういうことを考えないわけではなかったのですが、民謡はそれ自体が作品になっていて、1つの完結したものであるから、それをそのまま使うのは安直である、というのが伊福部さんの発想です。
民謡をそのまま使うものがないわけではありませんが、あまりよろしい道ではないと。もっと素直に、土俗的に生まれてくる音楽の源にさかのぼったものを作りたい、というのが伊福部さんの発想だったのです。
「木曽節」「ソーラン節」など、私たち日本を代表する民謡はいろいろと思いつくでしょう。これは、例外もありますが、ほとんどが大正や昭和に入ってから歌われ、人口に膾炙して、レコードにもなって有名になったのです。実は山田耕筰などいろいろな作曲家が、民謡風の新しい日本の歌を作ろうなどという...