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近代の超克への道…「多様性ある一元論」とポストモダン

伊福部昭で語る日本・西洋・近代(7)近代の超克という課題

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家
情報・テキスト
映画「ゴジラ」(1954) ライヴ・シネマ形式全曲集
(和田薫 指揮 日本センチュリー交響楽団 〈アーティスト〉 )
昭和10年代のいわゆる日本の全体主義は批判されがちだが、なぜそこに向かうことになったのかを冷静に見直す必要があると片山氏は語る。当時の「西洋の没落」の流れを受け、アジアや日本が自らの独自性を見出そうとした世界の趨勢や日本の状況を、伊福部昭の音楽になぞらえながら読み解く。(全8話中7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:09:13
収録日:2023/09/28
追加日:2023/12/23
カテゴリー:
≪全文≫

●一元論モデルは現代でも有効か


―― 今の先生のお話を聞いていると、現代の日本人としては、いろいろと腑分けをしていく必要があるのではないかと思います。

 時代的には、先ほど先生が言及されたシュペングラーの『西洋の没落』のように、西洋がこれからはダメになるという気分もある。大恐慌があったので、資本主義のようなものもダメなのだという流れもある。これらは西洋から来た流れです。片や日本のほうでは、明治維新後の開国の中で岡倉天心が直面したような「東洋とは何か」という思考もある。それらがたまたま一緒になったので、昭和10年代のような雰囲気となった。しかも戦争の時代でもあり、全体主義のいろいろな悪い面も如実になって、「ひどい時代だった」といわれています。

 そういうものを1度、客観的に腑分けをし、「あのときに日本人が考えたアジアとは何だったのだろう。近代をどうポストモダンに持っていくのだろう」という問題意識だけを切り分けた場合、どういう点が現代に響いていると思いますか。

片山 今、上手に整理していただいた通り、西欧近代の流れが1度、(その後また復元するわけですけれども)世界大恐慌期から少なくとも資本主義、自由主義が大きな変調をきたして、もう無理だろうと言われる。だからこそ、世界的に社会主義共産主義の方向に向かったわけです。

 あれだけ頭のいい人たちが皆、なぜ左翼になってしまったのか。それは資本主義、自由主義が、人類の数も増えていき、産業構造も複雑化していき、文明の形態も複雑になっていく中で、「自由にやっていればいいというものではないだろう。修正資本主義的な考え方でも、どこかで破綻するだろう。だから社会主義なり、共同体主義的なものに行かざるを得ないのだ」という流れがあった。


●一元論の中で多様性をつけていく


片山 今、川上さんが整理してくださったように、日本というか、アジア的なものは、1人ひとりの個性や個々の企業活動といったものが自由に発展するほうに到達しないまま、西洋に影響されて、教えられたというような面がある。だから一元論的、そういうものが、悪くいえば共同体的なものの中に個人が何かしたいと思っても押し潰されていってしまう。

 そうして、「やはりダメだ。1人ひとりが文明開化し、福沢諭吉的な精神で、西洋の学問をして独立する。そして自由な経済活動をする。その切磋琢磨の中で日本も西洋化し、近代文明は育っていく」というモデルに日本も進もうとする。だから、それ以前のものは、「儒教など古めかしい。そんなことを今さら言っても仕方がない」といった具合になった。

 岡倉天心がいろいろなことを言ったけれども、それは1つのアンチテーゼであって、昭和10年代はそちらに行くのではという流れが生じた。その中で、自分たちが前近代的で恥ずかしいと思っていたものと、西洋の行き詰まりみたいなものが結びついて、「近代の超克」(超近代は前近代的なものを、近代を踏まえた上で蘇らせることでうまくいく)という考え方になってきた。

 先ほど伊福部昭さんの音楽について言った、バラエティをいかに保っていくか。皆で1つのものを共有しているのだけれども、その中で微妙にいろいろなものが違ってくる。1つのものの中に多様性は尊重されているのだけれども、仏様のそれこそ蓮華の台座のようなものにきちんと収まって、分裂していない。台座が2つあって戦っているのではなく、台座は1つで、日本がそれに乗っている。

 その中で、大政翼賛会はまったくうまくいかなかったけれども、たくさんの政党が争うのではなく、理想として1つの同じ考えを共有し、1つの政党になれるものの中で、その政党に属する議員は皆同じにしろというのではなく、それぞれいろいろな立場があっていいけれども、いざというときは大同団結できると。

 大同団結したり、自由になったりということが、いってみれば自然にできる。これは伊福部さんの変拍子思想につながるかもしれませんが、そういった、少し違ったものがたくさんあって、引っかかったり、突っかかったりすることがかえって自然になる、それで、1つのものが続いていく。というように、だから「多様性も守られた一元論」という、このモデルは、現代でもかなり有効だと思うのです。


●現代日本は悪い形で二元論が噴出している


片山 ところが、日本でいえば第二次世界大戦の時、それから第二次世界大戦に限らずソビエト型、あるいはナチスなどは、あまりにも同質化の圧力が強すぎて、多様性を潰してしまう。一元論というものは、多様性をキープしておかないと、とんでもないものになってしまうわけです。

 そのとんでもないものの悪い例をたくさん見せつけられたがゆえに、例えば昭和10年代の日本ではいろいろな分野で結局、多様性を押し潰してしまった...
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