●世界的にも有名な映画『ゴジラ』
―― 皆さま、こんにちは。本日は片山杜秀先生に、「伊福部昭で語る日本と近代」というテーマでお話をいただきます。片山先生、どうぞよろしくお願いいたします。
片山 よろしくお願いいたします。
―― 伊福部昭という作曲家がどのような方かについて、まずこの曲から聴いていただきましょう。
(音楽:『ゴジラ』のメインテーマ挿入)
―― ただいまの演奏は、「『ゴジラ』ライヴ・シネマ形式全曲集」、指揮は和田薫さん、日本センチュリー交響楽団の演奏でした。
こちらは、いわずと知れた『ゴジラ』のメインテーマですね。
片山 そうです。皆さまがご存じかどうか分かりませんが、日本の映画音楽の中ではかなり有名です。ゴジラというキャラクターも、アメリカやヨーロッパなど世界的によく知られています。日本の映画では、一時期であればクロサワ(黒澤明)、ミフネ(三船敏郎)のほうが有名だと思われていた時代もあるし、今でもそうかもしれません。人によって、どういった映画を観ているかでずいぶん違うと思います。今であれば、スタジオジブリの宮崎駿さんのアニメ映画も世界的に、ヨーロッパなどでも大変観られています。
そのような日本の戦後が生み出した代表的、大衆文化的なものとして、『ゴジラ』という映画の怪獣のキャラクターがある。これと一心同体のように、セットで知られているのが、ただいま聴いていただいた音楽です。
●日本の怪獣映画とセットで語られる作曲家
片山 『ゴジラ』は1954年に東宝が制作した映画です。これが当たったので、東宝は怪獣映画やSF映画をたくさん作るようになり、『ラドン』『バラン』『モスラ』など、いろいろな怪獣映画が作られました。『ゴジラ』もシリーズ化されて今日に至ります。
その1954年の『ゴジラ』から、『ゴジラ』を初めとする東宝のいろいろな怪獣映画、SF映画の名前を申し上げました。もちろん伊福部さんに限らず、他の作曲家も映画音楽をいろいろな組み合わせで作られている。ですが、特に伊福部さんは、やはり『ゴジラ』とセットになる形で、東宝に限らず何本も『ゴジラ』を初めとする怪獣映画やSF映画の音楽を作られました。
例えば大映であれば、ある世代の方は必ずご存じだと思いますが、『大魔神』という映画があります。あの音楽を手掛けたのも、伊福部昭さんです。そのようなSF的な怪獣の特撮映画、特に『ゴジラ』で、やはり伊福部さんという作曲家がセットとなり、音楽と一緒に有名になっていった面がある。アメリカでも、伊福部ファンとゴジラファンがダブる形でたくさん存在している。そういった音楽になりました。
―― 伊福部さんは映画音楽を戦後、相当作っておられるわけですよね。
片山 はい。伊福部さんは、簡単に申しますと、北海道帝国大学出身で、農学部の系統でした。北海道庁や宮内省管轄の帝室林野局などに、正規または今でいう契約的な嘱託というかたちで敗戦(1945年)まで勤務しながら、学生時代から独学で作曲をしていました。これが、海外のコンクールで入賞したり、海外で一流の演奏家によって昭和10年代前半に紹介されたりして、演奏される。例えばアメリカであったり、ヨーロッパであったり。
だから、いわゆる学生のアマチュア作曲家で、正式な職業は全く別に畑を持っている。「日曜作曲家」という言い方をよくしますが、いわば「休みの日に作曲している人」だった。当時の日本には山田耕筰さんを初めとしてクラシックの作曲家はいたわけですが、そういった人たちの中でもかなり有名な部類に属するほどの人に、20代のうちになってしまった。
●注目のきっかけは「チェレプニン賞」
―― きっかけは、1935年の「アレクサンドル・チェレプニン賞」を受賞したことです。これは日本人作曲家のための賞ですよね。
片山 はい。今申したことと関係しているのですが、伊福部さんが欧米までを含めて国内にも広く名前が知れた契機は、1935年の「チェレプニン賞」です。
これはどういう賞か。アレクサンドル・チェレプニンという亡命ロシア人の作曲家がいました。1899年生まれで、ちょうど10代のハイティーンの頃にロシア革命が起こった。お父さんがとても有名な作曲家で、指揮者でした。
アレクサンドル・チェレプニンは、ロシア革命の時には、すでに西洋文明の終わりを感じていました。「これからは、共産主義というよりも、むしろ西洋を超えた文明の時代になる」と。もともとペテルブルクにいた人なのですが、ロシア革命の混乱により一家でジョージアに逃げた。するとそこは、アルメニア、イラン、アゼルバイジャンなど、アジアとヨーロッパ、キリスト教とイスラム教などが入り混じった多民族混淆エリアで、民族音楽がものすごくたくさんあったわけです。いろいろな地域のい...