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西洋の二元論と東洋の多様性ある一元論…岡倉天心の喝破

伊福部昭で語る日本・西洋・近代(6)西洋の二元論か東洋の一元論か

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授
情報・テキスト
映画「ゴジラ」(1954) ライヴ・シネマ形式全曲集
(和田薫 指揮 日本センチュリー交響楽団 〈アーティスト〉 )
戦時中に伊福部昭の音楽が多く取り上げられた背景には、日本全体をとりまく、ある傾向の影響もあった。それは、岡倉天心のような「アジアは一つ」とも似た一元論的な思想である。西洋の没落とともに浮上したこの思想とはいかなるものか。音楽のみならず政治・経済分野などさまざまな分野にみられた兆候・傾向を解説する。(全8話中6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:11:51
収録日:2023/09/28
追加日:2023/12/16
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≪全文≫

●岡倉天心の「アジアは1つ」という思想


片山 特に昭和10年代に人気が出たのは、明治時代の思想家・岡倉天心です。岡倉天心は「アジアは1つである」など大東亜共栄圏に利用できることをたくさん言ったということで、政治的に思い出された面もあります。

 岡倉天心がなぜ「アジアが1つ」と言ったのかを、ここで整理させていただきます。要するに、アジアには儒教もあれば、バラモン教、ヒンドゥー教、インドの伝統もあれば、仏教もあるということで、同じアジアの中でもバラエティがある、全然違うものがあるように見えるかもしれないけれども、岡倉天心は「それを乗り越えて、1つの要素がある」と言ったのです。

 まず、「西洋とはっきり違う1つの要素がアジアにはある。それは一元論である」と言います。西洋の場合、特にユダヤ教、キリスト教イスラム教の伝統がつくった一神教の考え方について、一神教だから一元論かと言うとそうではない。神が世界を創造したわけですが、創造された者と創造した者は絶対に一緒にはなりません。もちろん、これらを近づけていくという神秘主義的な考え方はあります。しかし、創造した者と創造された者が一元化してしまっては、キリスト教も何も成立しないわけであって、これは絶対的に違うものだということで成り立っているわけです。

 ところが、ヒンドゥー教になっていくバラモン教の伝統はどうか。梵我一如です。梵我一如とは、宇宙の本質である「梵」(ブラフマン)と、1人ひとりが全部違うものの「我」(アートマン)が「一如」である(本質を共有している)。「梵」の現れ方がそれぞれに違っているだけで、全部一元論なのだと解釈できます。

 仏教はどうか。仏教は、「仏と人は違う」という話ではありません。修行をしたら悟りを開いて仏になっていくわけですから、1人ひとりの心の中に、仏になれる要素がある。(蓮華座ではありませんが)花開かせると誰でも(仏になれる)。仏像が蓮華の上に乗っているのはなぜというと、1人ひとりの普通の人間の心の中にある仏になれる性質が花開いたから、花開いた上に仏になっているのです。人間が皆、仏になるわけです。

 仏は偉大であって、人間とは全然別のものだという考えは、オリジナルな仏教にはない。ただ、1人ひとりがうまく花開けないことが多いので、阿弥陀仏やお釈迦様に助けてもらおうという話になる。仏教とは人間の本質の中に、キリスト教的にいえば神の性質、仏教で言うと仏の性質があるとする。

 では、儒教はどうか。儒教とは孔子が説いて、今でも中国や日本の文明に深く根を下ろしている考え方ですが、儒教の場合、「天」という概念を最も重んじます。でも、天に神様がいるという話ではありません。「天」とは、抽象的な、道徳的な、倫理的な価値のことです。一番高いレベルの人間の倫理・道徳を指しているわけです。

 「天」というものは、勉強すれば誰でも理解し、誰でも君子として振る舞えるようになる、というのが儒教の根本的な1つの理解です。つまり、人間の心の中には「天」があるわけです。最高の倫理・道徳というものは神様だけが持っていて、われわれはそれを拝むのではない。1人ひとりがよく勉強し、『四書五経』などを読んで学び、日々の生活の中で鍛錬し、実践と結びつけていくことによって、1人ひとりの人間が「天」という言葉に表現される最高の倫理・道徳に目覚めて、君子のように振る舞うことができる。だからよく勉強しましょう、というものが儒教なわけですね。

 ですから、儒教、バラモン教、ヒンドゥー教、仏教も、1人ひとりの心の中に最高のものがあるということで、二元論的に「神と人」などと考える必要はないのです。自分の中に全てがある。自分の中に全てがあるもののバラエティ(一元論のバラエティ)として、人間ができているし、仏になったり、梵になったり、天になったりする(なるというよりも、それは皆、含まれている)。それが、岡倉天心が考えた東洋と西洋の一番の違いだったのです。


●近代西洋は「満ち足りることを知らない」


片山 西洋は満ち足りることを知らない(つまり、人間は神になれないので満ち足りることを知らない)から、岡倉天心的にいうと、アジアにも出しゃばってきて植民地などにする。

―― 満ち足らないから、拡張主義、無限成長主義といったものが出てきてしまうのですね。

片山 それが西洋近代です。その西洋近代は、岡倉天心流にいうと「神の被造物である人間という考え方を受け入れた西洋文明が、その神から離れて人間中心主義になったのは、満ち足りることを知るモデルをもともと持っていないからだ。だから東洋は今、植民地になってしまって、日本も重圧を感じている」。岡倉天心ですから、明治時代の話です。

 それに対して東洋の場合、西洋にやられた原因もその...
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