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ぬばたまの、あしひきの……不思議な「枕詞」の意味は?

和歌のレトリック~技法と鑑賞(1)枕詞:その1

渡部泰明
東京大学名誉教授/国文学研究資料館館長
情報・テキスト
日本古来の詩の形式である和歌。しかし、その中身について詳しく知っている人は少ないのではないだろうか。渡部泰明氏が和歌のレトリックについて解説するシリーズレクチャー。第一弾である今回は枕詞についてで、その知られざる特異性を2話に分けて詳解する。(全12話中第1話)
時間:10:28
収録日:2019/03/11
追加日:2019/06/15
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≪全文≫

●現代でも使われる枕詞、その実例


 今回から「和歌のレトリック」というテーマで、連続してお話をさせていただきます。

 和歌という日本古来の詩には、「これこそ和歌なんだ」「こういうふうにすると和歌らしいな」と感じさせるような、独特な表現の在り方があります。これを一つ一つ取り上げながらご説明していきたいと思っています。

 最初は枕詞についてお話しします。枕詞は現代でも用いられます。例えば、「取りあえず」はビールの枕詞といわれますが、酒場でビールを注文するときに、何となく「取りあえず」と言ってしまうことがあります。このように、何かある言葉があって、次にある特定の言葉が出てくる。そのとき、どうやら枕詞というものを使うらしいと思われているからこそ、そのように用いられるわけです。

 その枕詞とは具体的にどのようなものか、まず例を見ていただきたいと思います。

 枕詞が用いられた和歌が最も多く収められているのは、日本最古の歌集『万葉集』です。そこで、『万葉集』の中から3つ例を挙げます。

「居明(ゐあ)かして君をば待たむ ぬばたまの我が黒髪に霜は降るとも」

「一晩中、あなたをお待ちしましょう、私の黒髪に霜が降っても」という意味です。この中の「ぬばたまの」が枕詞です。これが、黒髪の「黒」を導き出しています。
 
「あしひきの山のしづくに 妹(いも)待つと我立ち濡れぬ山のしづくに」

「山の雫に、あなたを待って、私は立ちつくしたままびっしょり。そう、山の雫に」という意味です。この場合は、「あしひきの」が「山」を導き出す枕詞になっています。

「玉藻刈る沖辺(へ)は漕がじ しきたへの枕のあたり忘れかねつも」

 これは、「玉藻刈る」が「沖」あるいは「沖辺」を導き出す枕詞であり、「しきたへの」が「枕」を導き出す枕詞になっています。つまり、この和歌では2つの枕詞が使われているということです。


●枕詞は不思議さいっぱいの言葉である


 ここから、枕詞の特色を3つの点で表すことができます。第一に、四音の場合もありますが、主として五音からなります。第二に、多くの場合、実質的な意味はありません。第三に、常に特定の語を修飾します。

 ここで、まず確認していただきたいのは、枕詞がなくても意味は十分通じるということです。例えば、1番目の和歌から枕詞(ぬばたまの)を抜くと、「居明かして君をば待たむ 我が黒髪に霜は降るとも」となります。これだけでも、「一晩中、あなたをお待ちしましょう、私の黒髪に霜が降っても」という意味は十分通じます。

 次に、2番目の和歌は、「山のしづくに 妹待つと我立ち濡れぬ山のしづくに」となります。「山の雫に、あなたを待って、私は立ちつくしたままびっしょり。そう、山の雫に」と、これも枕詞(あしひきの)がなくても意味は通じます。

 3番目の和歌は、「沖辺は漕がじ 枕のあたり忘れかねつも」となります。「沖のあたりにこぎ出すのはよそう。枕元にいた人が忘れられないのだよ」という意味は通じます。枕元にいた人ですから、これは当然、恋人でしょう。その恋人のことが忘れられないと言っているだけなのです。ですから、港からこぎ出すのはよそうといっているのです。このように、意味は十分に通じます。

 でも、分からないのは、なぜない方が意味が通じやすい言葉(枕詞)を使うのかということです。このことを確認したいと思います。

 さらに、五音であるのはなぜなのか。また、実質的な意味がないにもかかわらず、どうして用いられるのか。さらには、特定の語を修飾するというのは、どういうことなのだろうか。これらの点もよく分かりません。枕詞は、どのような点からも不思議でならない、不思議さいっぱいの言葉だといってもいいかもしれません。


●「実質的な意味を持たない」とはどういうことか?


 まず、特定の語を修飾するということからお話しします。特定の語を修飾する言葉は、一般的なものだと思います。それほど不思議なことではありません。

 普通、修飾語というのは、その言葉を修飾するもので、その言葉は文脈の中に位置付けられます。ですので、当然、修飾した言葉も、その全体の文脈の中に位置付けられることになります。これが普通の修飾語の使い方です。対して、枕詞は、その文脈の中に溶け込まない。つまり、なじまないのです。いうならば、孤立し続けるという性格があります。

 具体的な例を見てみましょう。

「うつせみの 人目を繁み石橋の 間近き君に恋ひわたるかも」

「世間の人目をはばかって、石橋の間近にいるあなたに会えなくて、恋い慕うばかり」という意味の、歌が『万葉集』にあります。このうち、枕詞はどれでしょうか。

 よくご存じの方は「うつせみの」ではないか、とおっしゃいます。確かに「うつせ...
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