●掛詞の中に気持ちが凝縮されている在原行平の歌
次へいきます。中納言行平、すなわち在原行平です。在原業平のお兄さんで、在原業平とは異母兄弟です。
「立ち別れ
いなばの山の 峰に生(お)ふる
まつとし聞かば いま帰りこむ」
「あなたとお別れして因幡の国へ行ってしまったならば、その因幡の国に生える松ではないですけれども、あなたが待っていると聞いたら、すぐに帰ってきましょう」という歌で、やはり2つの掛詞が用いられています。
「いなば」は、今の鳥取県ですが地名の因幡と、動詞の「往なば」(動詞の「往ぬ」に「ば」がくっついた「行ってしまったなら」)という2つの掛詞で、「まつ」は、植物の松と「待っている」という2つの掛詞になっています。両方とも地名だったり植物であったりと、いわば物と人の在り方とが重ねられていることにご注意してください。
在原行平は38歳で因幡の国の国司に任名されて京から出発しました。西暦でいうと855年ですね。この歌は、そのお別れの宴会の時に詠んだ歌ということになっています。「私は因幡の国司として出かけなければいけませんけれども、皆さんが待っていてくだされば、すぐにでも帰ってまいります」ということで、要するにお別れの宴会を催してくれた人たちに挨拶しているわけです。もちろん任務がありますから、いくら待っていると言われてもすぐに帰ってくるわけにはいきません。しかし、そのように言うことで皆の気持ちに応えて挨拶をしたという、気持ちの問題なのです。
それを和歌にしたわけですし、その中でも掛詞である「いなば」と「まつ」ですが、ここに「行かなければならないんですよ」という気持ちと、しかし「待っていてくださいね」と願う気持ちと、それらが掛詞の中に凝縮しているということに、どうかご注意ください。
●元良親王のたぎる心を掛詞で味わう
次の歌を見てみたいと思います。元良(もとよし)親王の歌です。
「わびぬれば
今はた同じ 難波なる
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ」
これは元良親王が恋愛事件を起こしたのですね。その大きなスキャンダルの中で詠んだ歌です。「わびぬれば」の「侘ぶ」というのは苦しむとか困窮するということですが、「もうどうせ苦しみぬいているんですから、今となっては同じことです。難波―今の大阪府、大阪湾の辺りに大きな湿地帯があり、港でもあったわけですが―その難波にある澪標(みおつくし)ではないですけれども、身を尽くしてもあなたに会いたい」という気持ちを述べた歌です。
この「みをつくし」というところが、掛詞になっているわけです。物としての澪標は、串、つまり「水脈(みを)つ串」のことで、「つ」は「~の」という格助詞の「の」の古い形ですから、水脈の所に打ちこむ杭、串を澪標というわけです。これは要するに大阪湾は船の出入りする港ですが遠浅なので、船が座礁しないように「ここを通りなさい」という水脈、あるいは航路の所に航路を示すために杭を打つ、これが澪標で大阪湾の名物だったわけです。それと「身を尽くす」、つまり身を滅ぼす、「死んでもいい」ということですね。「死んでもあなたに会いたい」というのが「身を尽くし」なわけです。
やはり、自分の心ですね。今までの中でも最も心がたぎっている掛詞といったらいいでしょうか。それと大阪の澪標と掛けている。何かもしかしたら、どちらかといえば難波とかかわりがあるのかもしれません。そこで、難波の澪標を持ちだして、「私なんかもうだめになってもいいんだ、あなたに会えれば」という気持ちを表している。いかにもスキャンダルの中で、不倫の恋の中で詠まれた歌、という感じがします。
ここに表れた並々ならぬ心、何というか「進むも地獄退くも地獄」という、抜き差しならぬというような思いでしょうか。そういうようなものがここに表れていると思います。そういう心を、この掛詞にぜひ味わっていただきたいと思います。
●いくつもの掛詞で求愛の気持ちを表した三条右大臣の歌
次は百人一首25番の歌(三条右大臣)を見ましょう。
「名にし負はば
逢坂山の さねかづら
人に知られで くるよしもがな」
「名にし負はば」は、名に負うならばということで、そういう名前を持っているならという意味です。「逢坂山のさねかづら」ですが、「あふ」は前回お伝えした逢坂の関のある逢坂山の「逢」で、「そこに生えているさねかづらよ」とさねかずらを問題にしています。さねかずらというのはモクレン科のつる草なのです。つる草ですから長く伸びるのですが、このさねかずらのところにポイントがあります。「さ・ね・かづら」で「ね」という言葉を持っていますが、これが「寝る」ということで、この「ね」は「寝」と掛けているのです。
そして、下の句にきて「人に知られでく...