●古歌を意識的に取り入れ新しさのある歌を詠む本歌取り
古典和歌における「本歌取り」についてお話しします。例としては百人一首を例にご説明していきたいと思います。
本歌取りを完成したのは藤原定家だといわれています。その藤原定家が選んだ百人一首ですから、百人一首の中には本歌取りの歌がかなりたくさん収められています。そこで、百人一首に注目したということがあります。その本歌取りですが、これがなかなか難しい技巧で一口で「こういうもの」とちょっと言いにくいところがあるのですが、百人一首の中でということで、お話ししていければと思います。
一般的にいえば本歌取りというのは、古歌(古い歌)の言葉を意識的に取り入れて新しい歌を詠む技巧だと考えればいいと思います。古い歌でないといけないのです。新しい歌から取ったらこれは泥棒になってしまいますので。実は「泥棒だ」と言われることがあったのです。鎌倉時代のことで、「この言葉、おまえ盗んだだろう」というように言われることもあったようです。
ただ、現代でいえば50年たつと著作権が切れるというようなもので、古い歌であれば皆知っているのだから(むしろ皆が知っている古い歌でなければいけませんが)いわば著作権がないに等しいわけです。そういうものであれば共有財産となるので、だからこそ使えるのだ、ということを前提にして、新しい歌をつくる。そういう技法なのです。つくった歌が新しくないとそれはまた模倣になってしまいますので、新しさが大事なのです。
●恋の涙に袖を濡らした殷富門院大輔と源重之の歌
例えば、どういう歌かということで、殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)の歌を取り上げます。定家よりはちょっと先輩にあたる女房歌人です。
「見せばやな
雄島の海人の 袖だにも
濡れにぞ濡れし 色は変はらず」
「見せたいものだ。雄島の海人の袖でさえも濡れに濡れたけれども色は変わらなかった。それなのに、私の袖はこんなに色が変わっているではないか」という歌です。色が変わっているとは一体何だろう、ということになりますが、これは要するに紅色なのですね。悲しいともちろん涙が出ますが、もっと悲しいとその涙が血の涙になるわけです。そうすると袖が紅に染まる、紅の涙、紅涙と言ったりするわけですが。これは本当に血の涙を想像するとちょっとグロテスクなことになって...