●平安王朝最高の文化人藤原公任の歌
次にまいります。大納言公任こと藤原公任(きんとう)の歌です。
「滝の音は
たえて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ」
「滝の音は絶えて、もう長い年月がたったけれども、しかしその評判は今でも流れてきて、われわれのもとに伝わっている」という歌です。
ここでは技巧だけまず先に説明しますと、「滝」に対して、「たえ」は「絶える」、「なりぬれど」の「なり」は「鳴る」。滝はゴーゴーと鳴りますね。ですから、「鳴滝」などという言葉もあります。また、滝は流れるものですから「名こそ流れて」の「流れ」、そして「聞こえ」は滝の音が聞こえてくるということで、「聞こえ」も縁語になります。「滝、たえ(絶え)、なり(鳴り)、聞こえ」という大変たくさんの縁語で構成されている歌です。
平安時代、王朝最盛期の紀元1000年ごろのおそらく最高の文化人といってもいい藤原公任らしい技巧的な歌です。これは一体どういう場で詠まれたのかというと、結構細かいところまで分かっているのですが、長保元(999)年、当時最大の権力者である藤原道長の一行が、嵯峨のあたりにハイキングに行きました。大勢で行ったのですが、そこに同行したのがこの藤原公任でした。そして、今もありますが嵯峨にある大覚寺の滝殿の跡を見て詠んだものです。
●称賛の心を伝えるとき威力を発揮する縁語
滝というのは、那智の滝とか華厳の滝とか、われわれはどうしても上からドーッと流れ落ちる滝をイメージします。しかし、そこまででなくても、滝というのは本来たぎり流れるものです。つまり「たぎる」の「たき」から来ているので、急流のことを基本的に滝というわけです。庭園を造るとき、急流を模してつくったそれを滝といい、その場所のことを滝殿といったわけです。その滝殿は公任たちが訪れたときにはすでに跡だけになっていて、水は流れていなかったのです。そのことを詠んだわけですが、「昔から大変有名な、今でもその評判は聞こえるんだ」と述べています。
それだけ元々は素晴らしいものだったんだ、ということですが、結局これは滝殿を誉めているだけではなくて、それ以上に道長一行を誉めているのですね。「こういう雅な行事をした道長さん、なんて偉いんだ」とこの行事を記念するため、ちょうどわれわれが何か行事を行ったとき、記念式典を行ったときにその主催者を誉めたたえるように、道長たちのことを誉めたたえたのです。
そういう誉めたたえるときに、縁語が大変威力を発揮するのです。その滝がまさしく今、まるであるかのように、ドードー、ゴーゴーと音をたてながら流れているかのように、縁語で滝の流れを再現していると言ったらいいでしょうか。そうすることによってこの行事を誉めたたえている。そういう誉めたたえるという心を伝えるときにも、縁語が大変効力を発揮しているのだということを、確認しておきたいと思います。
●縁語に託した紫式部の友だちを思う心
今度は源氏物語の作者、紫式部の歌です。
「めぐりあひて
見しやそれとも わかぬまに
雲隠れにし 夜半の月かな」
紫式部が幼なじみの友だちと会ったのですね。女性なのですが、「たまたま会った。ところが忙しくていろいろ用事があってすぐにその人は帰ってしまった。残念、もっとゆっくりお話がしたかったのに」という気持ちを歌に表したのです。「めぐりあひて」というのは、「あなたにめぐりあって見たのはそれだったのかというふうに、はっきりとは分からない間に夜半の月は雲隠れしてしまった」。つまり、ちょっと見た、「あれは月だったのかな。月じゃないのかな」と、どっちか分からない間にもう雲隠れしてしまった。あなたもせっかく久しぶりに会えたのに、もっとゆっくり「ああ、あなただなあ」と確認する間もなく、あなたはお帰りになってしまいましたね。とても残念でした。という、会えた喜びと十分に話ができなかった寂しさと、その両方をこの歌に込めたわけです。友情の気持ちを表す歌なのです。
その友情を表すときに、月に重ねて相手のことを言ったわけです。つまり、月に例えたのです。そのとき、「めぐりあひて」という言葉の「めぐり」と、「月」はひと月かけて満月から満月へ、新月から新月へとめぐっていきますから、その「めぐり」と「月」が縁語になるのです。これも紫式部なりの、本当に友だちに対する温かな思い、友情を表した歌です。
われわれは、友情と恋とちょっと分けて考えたりしますけれども、昔は和歌の中では一緒なのですね。恋しく思うという気持ちとして、皆ほとんど同じように詠みます。ですから、恋というものが中心になるのです。恋と恋愛は違うとよく言うのですが、もちろん恋と恋愛は違います。恋というのはもっと幅広いのですね。そして、...