●古今和歌集の時代に発展した見立てという技法
今回は、和歌のレトリックの一つである、「見立て」という技法についてお話をしたいと思います。
見立てというのは、現代語でも医者の見立てなどという場面で用いられます。和歌の技法というだけではなく、実は日本の文芸、芸能などでも用いられる言葉ですが、和歌のレトリックとして発達したのです。非常に単純にいえば、見立てとは、AというものとBというものが似ていて、見間違えるという表現方法を指します。そのような技巧なわけです。
より正確にいうと、少し堅苦しいですが、「知覚上の類似に基づいて、対象Aを、別の対象Bであるかのごとく表現する方法」ということができると思います。見間違える、あるいはまるで何々であるかのように思うなどのいい方をします。
この見立てという技法がもっとも発達したのが、『古今和歌集』の時代です。『古今和歌集』は905年に成立した、和歌の世界のバイブルといっても良い歌集です。論より証拠ということで、具体的な例を見てみましょう。
1「あさみどり糸よりかけて白露を玉にもぬける春の柳か」
2「み吉野の山べにさけるさくら花雪かとのみぞあやまたれける」
3「秋風の吹きあげに立てる白菊は花かあらぬか波の寄するか」
4「神奈備の三室の山を秋ゆけば錦裁ち着る心地こそすれ」
5「白雪の所もわかず降りしけば巌にも咲く花とこそ見れ」
今、挙げた5首には全て見立てが用いられていますが、どの部分が見立てかお分かりになったでしょうか。
例えば、1番目の和歌では、柳を糸に見立てています。加えて、白露を玉に見立てています。2種類の見立てが1つの和歌に含まれているのです。
2番目の和歌では、桜花を雪に見立てています。3番目の和歌では、菊を波に見立てています。4番目の和歌では、錦が実は和歌の中では直接言及されていませんが、紅葉に見立てています。5番目の和歌では、雪を花に見立てています。先ほど、花を雪に見立てていましたが、今度は雪を花に見立てています。このような表現形式です。
この見立てが、いかにも『古今和歌集』らしいといわれます。なぜかというと、頭でつくったような印象を受けます。知巧的、つまり知識で巧(たく)む表現方法だといわれるのです。あるいは、機知的、つまり非常に知性的だといわれます。それゆえ、あまり好まれないという場合も結構ありま...