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古今和歌集の時代に発展した「見立て」…その意味と技法

和歌のレトリック~技法と鑑賞(3)見立て:その1

渡部泰明
東京大学名誉教授/国文学研究資料館館長
情報・テキスト
ある対象を異なるものに見立てるというレトリックは、劇的な空間を演出し、対象を芝居がかった表現で讃嘆するものである。「見立て」という技術が織りなす臨場感あふれる讃嘆に彩られた和歌の世界を、2話にわたって紐解いていこう。(全12話中第5話)
時間:16:36
収録日:2019/03/11
追加日:2019/06/29
カテゴリー:
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≪全文≫

●古今和歌集の時代に発展した見立てという技法


 今回は、和歌のレトリックの一つである、「見立て」という技法についてお話をしたいと思います。

 見立てというのは、現代語でも医者の見立てなどという場面で用いられます。和歌の技法というだけではなく、実は日本の文芸、芸能などでも用いられる言葉ですが、和歌のレトリックとして発達したのです。非常に単純にいえば、見立てとは、AというものとBというものが似ていて、見間違えるという表現方法を指します。そのような技巧なわけです。

 より正確にいうと、少し堅苦しいですが、「知覚上の類似に基づいて、対象Aを、別の対象Bであるかのごとく表現する方法」ということができると思います。見間違える、あるいはまるで何々であるかのように思うなどのいい方をします。

 この見立てという技法がもっとも発達したのが、『古今和歌集』の時代です。『古今和歌集』は905年に成立した、和歌の世界のバイブルといっても良い歌集です。論より証拠ということで、具体的な例を見てみましょう。

1「あさみどり糸よりかけて白露を玉にもぬける春の柳か」
2「み吉野の山べにさけるさくら花雪かとのみぞあやまたれける」
3「秋風の吹きあげに立てる白菊は花かあらぬか波の寄するか」
4「神奈備の三室の山を秋ゆけば錦裁ち着る心地こそすれ」
5「白雪の所もわかず降りしけば巌にも咲く花とこそ見れ」

 今、挙げた5首には全て見立てが用いられていますが、どの部分が見立てかお分かりになったでしょうか。

 例えば、1番目の和歌では、柳を糸に見立てています。加えて、白露を玉に見立てています。2種類の見立てが1つの和歌に含まれているのです。

 2番目の和歌では、桜花を雪に見立てています。3番目の和歌では、菊を波に見立てています。4番目の和歌では、錦が実は和歌の中では直接言及されていませんが、紅葉に見立てています。5番目の和歌では、雪を花に見立てています。先ほど、花を雪に見立てていましたが、今度は雪を花に見立てています。このような表現形式です。

 この見立てが、いかにも『古今和歌集』らしいといわれます。なぜかというと、頭でつくったような印象を受けます。知巧的、つまり知識で巧(たく)む表現方法だといわれるのです。あるいは、機知的、つまり非常に知性的だといわれます。それゆえ、あまり好まれないという場合も結構あります。

 詩というのは、心の高揚をストレートに表現するものだというイメージがあります。それに対して、頭でつくるというのは、詩としては不十分ではないかという批評や批判が、かなり古くから随分と寄せられています。しかし、本当に頭でつくり上げられたものなのでしょうか。私は、全くそうは思いません。なぜそう思うのかということを、これからお話ししたいと思います。


●認識の表現形式としての比喩と讃嘆の表現形式としての見立て


 それには、まず大前提があります。今、見立ての例をご覧になって、おそらく「見立てとは、比喩と同じではないか」と感じていると思います。確かに、見立てと比喩は非常によく似ています。ところが、2つの間には決定的な違いがあります。分かりやすくいえば、比喩は認識の表現形式です。一方で、見立ては、認識というよりは讃嘆の表現形式です。

 良い比喩は、認識を新たにします。鮮やかに目の前が開けるような印象を受けます。「あー、なるほど」と感じさせて、認識や感覚が新たになる新鮮な感覚を味わう、それが比喩の良さといえます。対して、見立ては、対象そのものを褒めたたえるのです。それが基本です。

 先ほど挙げた1番目の和歌では、春の柳を褒めたたえ、讃嘆していました。春の柳を褒めたたえるというのは、春になったことを喜んでいるのです。次に、2番目の和歌では、桜花を雪に例えていました。桜の方が立派で良いものなので、雪に例えることはありません。しかしここでは、そのような見立てによって、花を褒めたたえているのです。

 同じように、3番目の和歌では、白菊を波に見立てています。白菊と波というと、まず間違えません。しかしここでは、間違えてしまうほど素晴らしいと表現しているのです。「この世のものとは思えないから、絶対あり得ないような間違いをしてしまう」という表現なわけです。実はこの和歌は、内裏、つまり宮中で読まれています。ですから、その内裏という空間を褒めたたえることにも通じているのです。

 また、4番目の和歌では、紅葉を錦に見立てています。この見立ても、当然紅葉を讃嘆しています。最後に5番目の和歌ですが、先ほど白雪を花に見立てるという場合もあるといいました。これも雪を褒めたたえています。雪をなぜ褒めたたえるのでしょうか。実は雪は本来、秋の豊作を予告するもので、非常にめでたいものなのです。そういった記...
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