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百人一首に多く使われている「縁語」というレトリックとは

和歌のレトリック(5)縁語:その1

渡部泰明
東京大学大学院人文社会系研究科教授
情報・テキスト
今回紹介する和歌のレトリックは、百人一首に多く使われている「縁語」である。縁語とは、文脈を超えて複数の言葉に関係を持たせる技巧だが、そのうちのある言葉が掛詞として使われるケースが多い。それゆえ、凝りに凝った表現となるため、その言葉の意味がさらに強調されるということだ。つまり、縁語は掛詞と同じく、相手への気持ち、心を丁寧に届けるための手法なのである。(全12話中第9話)
時間:11:21
収録日:2019/06/17
追加日:2020/01/27
ジャンル:
≪全文≫
●文脈を超えて言葉が関係を持つ縁語

 古典和歌における縁語というレトリックについてお話しします。

 縁語とは、縁のある言葉ということです。言葉というのは何かしら縁があるといえばあるわけですが、ちょっとお気をつけください。単に関係があるというだけではありません。和歌の中で1つの言葉と別の言葉が文脈を超えて関係を持っている言葉のことを縁語というのです。

 和歌は57577と短いわけですから、その中で任意の2つの言葉をとれば、必ず関係があるといってもいいでしょうし、無関係な言葉同士などというのは使いようがありません。ここで説明するのはそういうことではなく、文脈を超えて言葉だけの関係を持ってしまうということで、そういう関係のことを指して「縁語」というわけです。



 その場合に、片一方が掛詞になっているということが大変多いのです。つまり、AとB、この2つの言葉があるとすれば、Bが掛詞でBとB´という2つの意味を持つ。そして、AとBは文脈の中で関係を持っており、必ず意味のつながりがあります。ですが、そうではなく、AとB´は文脈上関係がないのですが、そのB´のほうとAが関係を持つ。これを縁語と考えてもらっていいと思います。

 その縁語を考えるのに、百人一首を例にお話ししたいと思います。実は、百人一首には縁語は大変多いのです。これには何か訳があるのではとずっと昔から考えていて、まだきれいな結論は出ないのですが、多分晩年の藤原定家が縁語に大変興味を持ったからではないか、縁語を大事にしたからではないか、と私は考えています。


●「難波潟」の歌が伊勢の作とされるわけ

 それでは1つ目、百人一首19番で伊勢の歌ですね。

「難波潟
みじかき葦(あし)の ふしのまも
逢はでこの世を 過ぐしてよとや」

 難波潟は大阪湾のことですね。そこには葦がいっぱい生えている。葦というのは節(ふし)があり、その節と節の間が短い。そのため、「ふしのま」という言葉が「短い」という意味になるのです。

 ですからここでは、「難波潟の短い葦の節の間」ということで、「そんな葦の節の間のように短い間、短時間」ということですね。「でも、会わないでこの世をお過ごしなさい、と言うのですか」という意味です。「ほんのちょっとの時間も私と会ってくださらない、そんな人生を私に送りなさいと、あなたはおっしゃるの?」というわけです。

 『古今集』を代表する歌人である伊勢の歌ですけれども、実際には伊勢の歌ではないと考えた方がいいと思います。伊勢の歌集の中に入っているのですが、他の人の歌がたくさん入っている中に、この歌が入っているのです。ですから、これは伊勢の歌ではないし、また、どんな場で詠まれた歌なのかもよく分からないのです。

 ただ、少なくともこれは歌だけ見るかぎりでは、男性に向けて「あなたにお会いできなくて寂しい、つらい」ということを訴えている歌なのです。普通、女性の方からこんなに激しい歌は贈らないのです。これは大変に珍しくて、彼女は非常に恋多き人生を送った人なのですが、伊勢のような名歌人であり、またそういう波乱万丈の人生を送った人だから、こんな歌も詠んだのではないかと、後の人が思ったのではと考えられます。


●縁語で自分の言いたいことを必然化する

 この中で縁語と考えられるのが、「みじかき葦のふしのま」の「ふし」と、「逢はで」の「逢ふ」です。「ふしのま」というのは先ほど申し上げたように、葦の節と節の間を指すのですが、それが寝るという意味の「伏す」を掛けています。そうすると、会う(逢ふ)と伏す、これは要するに男女が共寝をするというイメージです。これで関係する言葉になるのです。やはり掛詞を利用して関係づけられているのですね。

 それから、葦には節がある。そこで「ふし」が縁語となり、それから下句にいって「逢はでこの世を」の「世」、これが本来は世の中の「世(よ)」という意味なのですが、これが「節」の意味の「よ」を掛けています。そうすると、やはり葦と関係する言葉になるのです。

 そこで、関係することになったからといって何なんだろうと思うわけですが、これは例えば「逢わないでこの世を過ごしなさいと言うのですか?」という一番言いたいことと、「ふしのま」という言葉が関係づけられるわけです。「ほんのちょっとでも会えない」、「会えないまま私を放っておくのですか」という2つを言葉の上を関係づける、つまり必然化するわけです。そうすると、「会えないのが辛い。だから会ってください」という意味が非常に強調されるのです。

 つまり、縁語というのは自分の言いたいことを必然化する。逃れられないほど「そういうことなのだ」ということを強調する。そういう働きを持つのです。


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