●高貴な貴公子、業平の代表歌が「この一首なのか」という疑問
今回の講義では、百首全部の歌を読みたいところですが、とてもその時間がありません。大学の授業では一首につき最低でも90~100分かけたりします。ここではさすがにそれではゆっくり過ぎますので、数人の歌人を取り上げて、その解釈の問題点について考えていきたいと思います。
まず登場してもらうのは、在原業平という歌人です。もちろんご存じでしょう。『伊勢物語』の主人公になぞらえられた人で、『伊勢物語』には業平とは書かれず、「昔男(むかしをとこ)」とされています。が、業平の多くの歌を、その「昔男」も同じく詠んでいるので、業平がモデルであるのは明らかです。
業平は、825年に生まれて880年に亡くなる9世紀の人です。お父さんは、阿保(あぼ)親王。おじいさん、つまり阿保親王の父は平城天皇。お母さんは桓武天皇の皇女である伊都(いと)内親王です。血筋から言えば完全に理想的なる天皇家の血筋を濃く引いていますが、「在原」という名字をもって臣下に列しています。
さて、大変有名な在原業平の歌として定家が選んだ一首は、この歌です(落語のネタにもなっていますが、それは少しおいておきましょう)。
ちはやぶる神代も聞かず竜田川韓紅 (からくれなゐ)に水くくるとは
(神代にも聞いたことがない。竜田川で韓紅色に水をくくり染めにするとは)
これに関して、「あの有名な業平の一首が、この歌だろうか」という疑問は、大変多くの人が寄せています。しかし、よくよく考えると、業平の歌としてこれを選んだ定家の見識は、なかなかやはり深いものがあるのではないかと思わせます。
●「くくるとは」で描き出される、鮮やかな水面
この歌は、どんな時に詠まれたのでしょうか。「神代にも聞いたことがない」からは大げさな感じが伝わりますし、「くくる(くくり染めにする)」は、「纐纈 (こうけつ)染め」のこと。布の一部を糸でくくって染めますから、丸い模様がぽこぽこできる状態になります。
つまり、竜田川の上に散る紅葉が、くくり染めのようにまだらをなしているわけです。ある所にぽかっと丸く赤い紅色の輪っかができ、こちらにもあちらにもできている状態を詠んだものです。
実は、この部分には少し問題があり、藤原定家はそう解釈していないことがはっきりしています。定家は「くぐる...