●さまざまな読み方ができる定家自身の歌
それでは最後の歌人として、藤原定家その人を取り上げたいと思います。
巨匠・藤原定家が『百人一首』を選んだとして、自分の歌としては何を選んだのでしょうか。これはわれわれの大変興味深いところです。彼が選んだ自分の一首はこの歌でした。
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ
定家は生涯2つの勅撰和歌集に関わっています。最初はもちろん『新古今和歌集』ですが、ただこれは5人の歌人で選んだものです。その次の『新勅撰和歌集』は、定家1人で選んだ勅撰集ということで、生涯2つの勅撰集の撰者となったわけです。この歌はその『新勅撰和歌集』の中に入っている歌で、『新古今和歌集』ができた後にできた歌です。
これに関しても、定家といえばやはり『新古今和歌集』の方がはるかに有名なので、「『新古今和歌集』の中にたくさんいい歌あるのに、なぜこの歌なのかな」という意見もないではありません。ただこの歌は、さすが定家が自分で選んだだけあって、またいろいろな読みができるだろうと思います。
そのいろいろな読みの1つとして、私がご提案したい読み方があるので、それを今日はお話しさせていただきたいと思います。
●読み解きの重要な鍵となる「藻塩を焼く」
まずこの歌、訳がなかなか難しいので、確認しておきましょう。
「来ぬ人をまつ」で、まずいったんひとまとまりになります。そして「まつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の」が、またひとまとまりになっています。ですから、上のところの「まつ」が重なっているのです。そして「まつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の」が、「こがれ」にかかっていきます。「まつほの浦」は地名で「松帆の浦の夕暮れどきに、夕なぎのもとで焼く藻塩の火のように私は待ち焦がれている」ということで、ちょうど「まつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の」が、サンドイッチされているといったらいいでしょうか。随分中身の膨らんだサンドイッチですけれども、言いたいことは、「来ない人を待って身を焦がしている」という、ただそこだけなのです。
風景としての「まつほの浦」(松帆の浦)ですが、それは、淡路島の北端のところにある地名です。それが夕なぎどきなのです。夕方だから海面は波がない。そこで藻塩を焼いている。「藻塩を焼く」とは要するに塩作りです。
まず海藻をたくさん積み重ねて上からじゃーじゃー海水を掛けます。そうすると、下に濃くなった海水が落ちてきます。それを集めて、さらに煮詰めます。そうやって塩を作っていくわけです。だから、その煮詰めるときに焼きますけれども、藻塩そのもの、海藻そのものを焼くわけではありません。この点、少し間違った説明をされることがあるのでお気を付けください。
ということで、この「藻塩を焼く」ということが非常に重要になります。
●素晴らしい本歌取りが示す定家の自負
藤原定家が生涯の一首としてこの歌を大変誇りに思った、自信作として持っていたのですが、これには一体どういう理由があるのでしょうか。その理由は何かといいますと、これは『万葉集』の笠金村(かさのかなむら)の長歌を踏まえているのです。
名寸隅(なきすみ)の 船瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつゝ 夕なぎに 藻塩焼きつゝ 海人娘子(あまをとめ) ありとは聞けど 見に行かん よしのなければ ますらをの 心はなしに たをやめの 思ひたわみて たもとほり あれはそ恋ふる ふね梶をなみ
ということで、『万葉集』(巻6)に入っている笠金村の長歌を踏まえているわけです。つまり本歌取りですね。定家が生涯追求していった技巧である本歌取りでもあるということです。しかし『万葉集』の長歌を本歌取りするというのは実はかなり難しいのです。長歌というのは長いので、いろいろな内容が入っています。どれを踏まえたのかよく分からないのです。ですから、ちゃんと知っている人には伝わらないといけません。
また、長歌は結構俗な内容が多く、それを非常に王朝的な、みやびな和歌にするのは意外と難しいのです。「鯨を取る」とか、そのような歌を本歌取りした人もいるのですが、「そんな鯨を取るなんて、和歌にはふさわしくないんだ」などと怒られたりしています。批判されたりすることもあるのです。しかし、この歌は実にうまいところを取ってきているわけです。定家の歌を見ても、全然万葉的ではないですね。
この歌は笠金村を旅した時のもので、天皇の御幸にくっ付いて行っているわけです。その対岸の淡路島に、「何かこんなお嬢さんがいるらしいよ」「玉藻を刈っては、あるいは藻を焼いては男を待っている、そういう伝説的な美女がいるらしいよ」などというようなことを長歌にしたのです。その「男を待っ...