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天皇の系譜が直系で続かなかった理由とは?

神皇正統記と日本人のアイデンティティ(3)政治の成功に必要なこと

山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/武蔵野大学国際総合研究所客員教授
情報・テキスト
政治には何が必要か。そして、政治の成功に必要な要素とは何か。『神皇正統記』全編を貫く北畠親房の志や、王朝交替思想にも触れながら、彼が本書において密かに語ろうとしたこととは何かに迫る。シリーズ「日本の歴史書に学ぶ」第2弾(3/3)。
時間:11:39
収録日:2014/03/27
追加日:2014/10/06
タグ:
≪全文≫

●決断とは「理非曲直」の採決


 北畠親房によれば、政治とは正直慈悲を本とするもので、それが本元である。そして政治には決断の力が必要だと言うのです。

 決断とは、「理非曲直」を明らかにすることです。「理非」というのは、そこに「理(ことわり)」があるか、ないか。正当性があるか、ないか。「曲直」とは、曲がっているか、真っすぐか。すなわちどちらの主張の道筋が間違っていて、どちらが正しいか。このことを「理非曲直」と言いますが、それを採ることを決断と彼は言うのです。


●政治の成功に必要な三要素:賢才を選ぶ、公平に領地を分ける、信賞必罰


 では、政治を成功させるために必要な要素は何であるか。第一は、賢才を選ぶ。賢い才能、優秀な人材を選ぶこと。人事が大事で、人材の簡抜が必要だと言うのです。第二は、公平に領地を分けること。私の感情を交えず、公平に恩賞を施すことが大事だと言います。第三は、信賞必罰です。働いたものには報い、働かないものには報いない。根拠のある人への恩賞は篤くするが、そうでない人に恩賞を与える必要はない、あるいは薄くするという信賞必罰です。これらを間違えると、世は乱世となり、乱れた政治になってしまうというのです。


●『太平記』が描き出した後醍醐天皇周辺の乱脈


 このような親房の言わんとしたことについては、『神皇正統記』の中よりも、むしろ有名な『太平記』の中に多くのエピソードを見出すことができます。

 『太平記』には、後醍醐天皇の側近たちや彼の愛した女御たちが、勝手に荘園や武家の領地を取ったりするところがよく出てきます。また、贅沢さもあります。後醍醐天皇の側近であった千草忠顕については、「酒肉珍膳の費え、一度に万銭も尚足るべからず」と、彼の楽しむ酒や料理、珍奇で珍しい山海の珍味を味わうために支出する総額が、万の銭を投じても到底足りないといった贅沢さ加減でした。

 それから、文観(もんかん)という僧正(そうじょう)がいました。この僧侶は「何の用もなきに財宝を倉に積み貧窮を扶(たす)けず」と言われました。何の目的もないのに蔵の中にお金を貯め込んでニンマリする。そして吝嗇(りんしょく)、ケチで、困っている人がいてもそれに耳や目を傾けて助けようとはしない。このような僧侶、宗教者、こうした人物がわが物顔で天下を闊歩していることに触れています。

 もっとひどいのは、何の功績もない朝廷の女官や僧侶、さらに妓女(ぎじょ)や伎芸、遊芸の徒や遊伎の者たちに対して、武家の所領・領地を下賜すること。このようなことは後醍醐政権の一つの特徴であり、特殊なものではありませんでした。


●末世の現実を「正直」で変えようと抗った親房の志が全篇を貫くモチーフに


 こうなると、多くの良心的な人たちは、次のようなことに思い起こさざるを得ません。一体、こうした世の中にするために、鎌倉幕府を倒し、楠木正成のような忠臣たちが自らの命を落としたり、自分の一族を犠牲にしていったのだろうか、ということです。

 こうした有為の人たちの死は何だったのかという感性や疑問は、北畠親房ならずとも良心的な政治家ならば当然考えたことでしょう。まして親房のように『神皇正統記』を書くほど歴史感覚に鋭敏な人間は、後醍醐天皇のこうした新政に対してすこぶる鋭敏な考えを持ったに違いありません。

 ですから、彼は「建武の新政」が挫折して武家政治が復活した経緯について、「末世である」とは考えながらも、末世の現実をただペシミスティックに否定するだけではなく、正直、(せいちょく)という理想を追うことで、それを何とか変えようと抗ったのです。時代に抗った親房の理想や決意は、『神皇正統記』の全編を貫くモチーフとしてつながっていると言わなければなりません。


●日本史における一種の王朝交替思想を大胆に正当化した本


 日本中世史の大隅和雄先生は、『神皇正統記』を儒教思想による王朝交替の説明をした本であり、天皇の系譜が直系では何代も続かないことの解釈に援用した書物だとおっしゃっています。すなわち、天の意思と天照大神の神意を重ね合わせて、天皇の治世に対して謙虚かつ大胆な論評を加え、その政治を批判した書物でもあったというのが、大隅教授の説です。

 私の見るところ、大隅先生が言いたかったのは、例えば天皇家で25代の天皇とされる武烈天皇です。武烈天皇は、応神天皇から仁徳天皇の血を引いて出たのですが、残虐極まりない天皇だったと言われます。この武烈天皇の血筋すなわち皇位の相続は許されませんでした。したがって応神天皇へとさかのぼり、仁徳天皇とは違う血筋から4代隔てた継体天皇が、26代目として据えられます。

 これは、一種の王朝交替と言えるだろうということです。いわゆる易姓革命ではないけれども、日本史の中にも一種の王...
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