この講義シリーズの第1話は
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山上憶良「好去好来の歌」を読む
山上憶良が示したグローバル社会に生きるためのヒント
山上憶良「好去好来の歌」を読む(4)改良・改善と「墨縄」の思想
芸術と文化
上野誠(國學院大學文学部日本文学科 教授(特別専任)/奈良大学 名誉教授)
日本人の創造力の源は改良・改善にある。改良・改善とは、海外から得たものを「身の丈に合ったものにしていく」ことである。そこで山上憶良である。彼は遣唐使に対して「墨縄」という言葉を用いて「一直線に帰ってこい。無事で帰ってくるのが最高だ」と伝えている。その思想は、グローバル社会に生きる現代のわれわれにとって大事なヒントを提示してくれるのだ。(全4話中第4話)
時間:12分14秒
収録日:2024年4月2日
追加日:2024年6月9日
収録日:2024年4月2日
追加日:2024年6月9日
≪全文≫
●日本人の創造力の源は改良・改善にあり
『源氏物語』の(第二十一帖)「乙女(おとめ)」の巻に、次のような一節があります。
〈なほ、才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ〉
これはどういうことかというと、「大和魂、大和魂といっても駄目だ」ということです。その大和魂を生かすために、われわれは外国知識の才=漢才というものを学ぶのだというわけです。これが、(和魂漢才の)非常に深いところです。
「外国のものはみんな駄目だ」などというのは、負のスパイラルに入っていくだけです。「外国のものがいい」というのは、何の考えもないということです。受け入れて、どのように深めていくかということが重要なわけですよね。
こういうような考え方があって、例えば私たちは漢字を使っていますけれど、中国より30年ほど開国が早かった日本の場合、その間にヨーロッパの知識を学んだため、外国の用語を漢字に置き換えて、それがまた中国へ輸出されている。例えば「社会」や「哲学」といった用語は、日本から逆に中国のもとに戻っていっているわけです。
そのような日本的な、日本人の創造力の源は改良・改善にあるということを忘れてはいけないということになるわけです。
●改良・改善は「身の丈に合ったものにしていく」こと
では、改良・改善とは何かということになります。改良・改善とは何かというと、これは「自分たちのものにする」ということです。自分たちのものにしていくというのは、身の丈に合ったものにしていくということです。これは、さまざまな工業製品もそうですし、さらには人間の心の奥深いところにある宗教などもそうなのです。
遠藤周作の名作に『沈黙』があります。『沈黙』というのがどういう話かというと、日本にやってきた宣教師がキリスト教をやめてしまうという話です。「日本は、泥沼だ。日本に入ったら、キリスト教といっても、われわれが言っているキリスト教と違うのではないか」と悩む。そして、最後はどうなるかというと、「おまえがもしキリスト教をやめて転んだなら、多くの人の命を救ってやろう。おまえは、キリスト教を捨てるか」という問いかけが来るわけです。
それに対して最後に行き着いた答えは、「いや、自分にだって神様はいるのだ。イエズス・キリストはいるのだ。イエズス・キリストは沈黙しているのだ」...
●日本人の創造力の源は改良・改善にあり
『源氏物語』の(第二十一帖)「乙女(おとめ)」の巻に、次のような一節があります。
〈なほ、才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ〉
これはどういうことかというと、「大和魂、大和魂といっても駄目だ」ということです。その大和魂を生かすために、われわれは外国知識の才=漢才というものを学ぶのだというわけです。これが、(和魂漢才の)非常に深いところです。
「外国のものはみんな駄目だ」などというのは、負のスパイラルに入っていくだけです。「外国のものがいい」というのは、何の考えもないということです。受け入れて、どのように深めていくかということが重要なわけですよね。
こういうような考え方があって、例えば私たちは漢字を使っていますけれど、中国より30年ほど開国が早かった日本の場合、その間にヨーロッパの知識を学んだため、外国の用語を漢字に置き換えて、それがまた中国へ輸出されている。例えば「社会」や「哲学」といった用語は、日本から逆に中国のもとに戻っていっているわけです。
そのような日本的な、日本人の創造力の源は改良・改善にあるということを忘れてはいけないということになるわけです。
●改良・改善は「身の丈に合ったものにしていく」こと
では、改良・改善とは何かということになります。改良・改善とは何かというと、これは「自分たちのものにする」ということです。自分たちのものにしていくというのは、身の丈に合ったものにしていくということです。これは、さまざまな工業製品もそうですし、さらには人間の心の奥深いところにある宗教などもそうなのです。
遠藤周作の名作に『沈黙』があります。『沈黙』というのがどういう話かというと、日本にやってきた宣教師がキリスト教をやめてしまうという話です。「日本は、泥沼だ。日本に入ったら、キリスト教といっても、われわれが言っているキリスト教と違うのではないか」と悩む。そして、最後はどうなるかというと、「おまえがもしキリスト教をやめて転んだなら、多くの人の命を救ってやろう。おまえは、キリスト教を捨てるか」という問いかけが来るわけです。
それに対して最後に行き着いた答えは、「いや、自分にだって神様はいるのだ。イエズス・キリストはいるのだ。イエズス・キリストは沈黙しているのだ」...
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