●『神皇正統記』は日本と日本人のアイデンティティを問う書物
今日は、日本の歴史書について語るシリーズの二番目として、北畠親房の『神皇正統記』についてお話ししてみたいと思います。
『神皇正統記』は、基本的に言うと「日本国とは何か」について考えようとした書物です。「日本(やまと)とは何か」、そして「日本人とは何か」という、私たちの先人たちのアイデンティティを考え、苦闘した歴史書です。
作者の北畠親房は、後醍醐天皇に仕えた日本の代表的な政治家の一人です。政治家である彼は、「政治責任とは何か」を歴史に即して考えようとしました。そして、その答えを求めるために『神皇正統記』を書き上げたのです。
この本はときには切実な反省の響きを伴います。「なにゆえに後醍醐天皇による建武の新政、建武の中興は失敗に終わったのか」、「なにゆえに南朝は北朝や足利尊氏、ひいては足利の武家政権に屈することになったのか」、このようにして歴史の筋道、歴史の道理について考えようとしたのです。
●著者は当代きっての政治家・知識人だった北畠親房
この歴史書『神皇正統記』は、古代の神話と伝承の時代、すなわち初代の神武天皇から、14世紀の後醍醐天皇、ひいては後村上天皇に至る日本史を、年代記風に扱っています。しかしながら、本書は同時に「国家とは何か」という国家のレゾンデートル、存在理由についても書かれた、ある意味では現代においても興味を非常にそそる政治の書、政治学的に見ても大変興味深い書物になっています。
それは、著者の北畠親房がただ単なる政治家であったのみならず、当代きっての知識人、真言密教、真言宗や神道、特に伊勢神道に通じた有数の文化人でもあったからです。また、そうした知識が書斎のブッキッシュなものに限られるのではなく、実際に彼は後醍醐天皇の南朝における柱石として、孤立し、そして孤軍奮闘しなければならなかった政治家でもあったという点に、この書物の迫力を感じさせるバックグラウンドがあるのではないかと思います。
●「天皇家による皇統が絶えず伝わる世界でも唯一の国」という自負心
この書物の書き出しはすこぶる簡潔です。それは、「大日本者神国也(おほやまとはかみのくになり)」(大日本は神国なり)という言葉で始められます。書き出しはすこぶる簡単明瞭ですが、その世界観や政治哲学の基本は全て、この「大日本者神国也」という言葉に尽きているのです。
北畠親房は、この書物で世界にはいろいろな国の成り立ちがあることを記しています。すなわち『今昔物語』がかつて扱ったような中国やインドにおける天地開闢(かいびゃく)説にも触れながら、日本の国家のあり方や成り立ちは、天照大神に由来する皇統すなわち天皇の系統によって絶えることなくずっと伝えられてきたという点を、歴代天皇の簡潔な実録、簡潔な年代記として書き記したのが、北畠親房の『神皇正統記』なのです。
しかも、親房の言葉を借りますと、こうした特徴は日本だけのものであって、「異朝(いてう)には其たぐひなし」、すなわち「外国にはこうした例はないのだ」と彼は言っています。
「我国(わがくに)のみ此事(このこと)あり、異朝には其たぐひなし。此故に神国(かみのくに)と言うなり」
すなわち、日本だけが易姓革命や王朝の暴力的な交替などを経ず、天皇家による皇統が伝えられてきた、世界でも唯一の国だという自負心と自尊の念が高い書物にもなっているのです。
●中国やインドと比べての日本の優位性を強調
しかし、「我国のみ此事あり、異朝には其たぐひなし」の記述を少し考えてみましょう。「外国にはこうした例はないのだ」とあえて言うのは、「日本が世界で一番優れた国だ」「日本は最も偉大な国だ」と言っているのにほとんど等しいのです。
かつて日本は確かに、中国やインドから多くの文物や文化を学んできた。それは事実ではありますが、当時、革命や戦争や内乱によって平和が短期間しか保たれず、常に兵乱や争闘などの争いに明け暮れる中国やインドと比べたときに、日本の方が安定した平和な状況を相対的に長く続けている。こうした国との対比における日本の優位性を、彼は強調したかったのかと思われます。
すなわち、日本は中国やインドから宗教や政治思想、総じて文化を昔から長きにわたり取り入れてきたわけですが、親房は「取り入れてきた国の方がいまや優れている」と言いたかった。このように自負した点が、伝統的な書物や歴史書と比べて、『神皇正統記』を斬新な書物としたゆえんだったのかもしれません。
●執筆の背後にある「建武の新政」挫折の政治的ショック
しかしながら、『神皇正統記』は、その出だしの言い回しである「大日本者神国也」(大日本は神国なり)という表現が示すように、非常に解...