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なぜ「父祖の遺風」がローマと江戸に共通する価値観なのか

ローマ史と江戸史で読み解く国家の盛衰(1)父祖の遺風

情報・テキスト
1200年に及ぶ古代ローマ史と、260年以上続いた江戸時代。この二つの歴史は、国家や組織について学ぼうとする者には宝の山である。本シリーズは、古代ローマ史がご専門の本村凌二氏と江戸時代を中心に執筆活動を行う中村彰彦氏の対談により、その勃興から衰退に至る歴史を、さまざまな角度から比較していく。(全8話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:11:02
収録日:2019/08/06
追加日:2019/12/19
キーワード:
≪全文≫

●ローマの「父祖の遺風」と江戸の「武士道」


── 皆さま、こんにちは。本日は東京大学名誉教授の本村凌二先生と、直木賞作家の中村彰彦先生をお招きして、「ローマ史と江戸時代史で読み解く組織・国家の盛衰」というテーマでお話をいただこうと思います。

 いかなる国家や組織にも、発展期、中興期、爛熟期、衰退期というライフサイクルがあると思います。そのような区分を逆から考えると、優秀な創業者がいたり、優秀な中興の祖がいたり、優秀な組織運営者がいたりしたから、ということになろうかと思います。発展ー中興ー爛熟のプロセスを見ていくにあたり、ローマ史と江戸時代史は非常に参考になるのではないでしょうか。両者の比較から、その秘密に迫っていきたいと思います。

 まず、組織の勃興について。ローマ帝国も江戸幕府も非常に長期的な政権を維持しました。本村先生にはテンミニッツTVの講義で、ローマがなぜあのようなかたちで興ったかについて、いろいろなお話をいただいています。例えば、ローマ人の質実剛健さ、宗教的な敬虔さ、「祖国」の発見と国防意識の強さ、さらに誠実さもあれば、物事をどんどん洗練させていく能力や実利精神も挙げておられました。なかでも強調されていたものが、「父祖の遺風」です。「父祖」とは父親と祖先を指すことばですが、それの遺風を重んじるということです。

 日本の場合にも、この部分は非常に共通性があるように思いますが、中村先生、いかがでしょうか。

中村 本村先生のご指摘は、高校レベルの世界史、あるいはローマに関する授業ではわれわれが教わらなかったことです。そういう精神を支えるものは非常に重要だと私は考えています。日本人の場合も、「東照宮遺訓」や「大西郷遺訓」で明らかなように、遺訓を非常に好む民族です。

 また、例えば8月1日は、徳川家康の時代から幕末に及ぶ江戸時代、非常に重要な祝典の日とされました。何の日かというと、家康が江戸を戴き、江戸城に初めて入ったのが8月1日です。そのため、「八朔の祝い」は大変めでたい日とされ、あらゆる大名、旗本、御家人たちが総登城することによって、それを祝いました。また、歴史的にその日を自分たちのスターティングポイントとして確認していく意味合いが年中行事として取り込まれました。

 「八朔の祝い」を重んじたあたりが、本村先生のおっしゃるローマにおける「父祖の遺風」を大切にした文化に非常に重なるものだと感じます。

中村 また、もう一つ、「礼節」や「惻隠の情」を大事にする点も共通していたのではないでしょうか。日本の場合は『論語』などを借り、古代中国人をまねるかたちで、それらをつくっていきました。ところが、実際の古代中国はどうだったかというと、惻隠の情など考えられないような時代が長く続いていたので、やはり日本人独特のものだったと考えられます。

 本村先生は、ローマ人はギリシア人に学んだところがあると言われ、ギリシア語からローマの言語ができたことを指摘されていました。日本語も中国語を加工してできた言語であると言えますし、「和魂漢才」という価値観があった。そのあたり、ギリシア人に学んだローマ人と、古代中国人に学んだ日本人としてイメージが重なってくる面白さがあるように思います。

本村 “mos maiorum(モス マイヨールム)”とラテン語でいう「父祖の遺風」について、われわれはもう少し考えなければいけないと思っています。例えば、『武士道』を著した新渡戸稲造は欧米、特にアメリカの生活が長かったなか、「なぜ日本人は、(欧米の人から見れば)宗教心が希薄であるのに、それだけ礼節をわきまえているのか」と尋ねられ、答えることができなかった。それで、じっと自分を反省していくと、どうも「武士道」の影響があるのではないかと思い当たったのです。

 この場合の武士道は、「切腹」や「特攻精神」のような強面で硬派の武士道というよりも、いま中村先生が言われたような「惻隠の情」や「礼節を知る」といった意味での武士道だったと思います。そういうものが、どうも日本人にはあったのでしょう。

 武士道は、ヨーロッパ中世の「騎士道」とよく比較されます。しかし、私は戦士のマナーとしての騎士道よりも、むしろローマの“mos maiorum(父祖の遺風)”のほうが武士道に近いものがあるのではないかと思います。そのことをもう少しクローズアップしたいので、この問題を考えることが重要ではないかと思っています。


●古代ローマの知的レベルに近づいていたのは江戸時代の後期


本村 ローマを江戸と比較するメリットは、もう一つあります。私のように、日本ではない、他の地域の、しかも古い時代のことを日本の視聴者に話すときには、そのこと自体、興味を持ってもらうのは大変なことなのです。やはり間に何かステップになる...
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