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ローマの剣闘士と江戸の花見は庶民の生活を楽しませるため

ローマ史と江戸史で読み解く国家の盛衰(3)剣闘士と花見

情報・テキスト
保科正之
庶民のための街づくりは、「人はパンのみにて生きるにあらず」を体現し、江戸では花見、ローマでは剣闘士などが公に準備される。為政者にとってはガス抜きの意味を持つイベントや行楽の重視は、世界史上「パンとサーカス」の名を残している。(全8話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(10MTVオピニオン編集長)
時間:13:36
収録日:2019/08/06
追加日:2020/01/02
≪全文≫

●「明暦の大火」を不燃都市志向のきっかけに


── 先ほどから保科正之の名前が出てきますが、江戸の場合、徳川家康が第一弾ロケットだとすると、さらにシステムを整えたのがこの人物になりますか。

中村 そうなんです。関ヶ原の戦いのあった1600年に江戸時代が始まったとすると、1650年代が保科正之の活躍期ですから、早くも50年で金属疲労のようなシステムの劣化が出てきているわけですね。

── 50年で、もう出てくるわけですね。

中村 ええ。それに最初の江戸は小さい都市から人口爆発が起こり、居住区も狭くなってしまいました。狭いところに家が密集しているから、大火事が起こる。保科正之の時代には「明暦の大火」といって、少なく見積もっても2~3万人、大きく見積もると10万人ぐらいが焼け死んだといわれるような大火が起こる。それは大変不幸な事態なんだけれども、新しい江戸づくりへの一里塚にもなりました。

 今までの道を広げ、道の片側だけだった下水を両側に必ずつくりました。また、よくチャンバラ映画で誰かにつけられている奴が必ず身を隠す天水桶、ああいうものを必ず置かなくてはいけないようにしました。また、上野広小路のように、大きな火が飛ばない空間を必ずあちこちにつくるようにもしました。さらに、板塀は全部石垣造りにしたり、瓦屋根を置いたり、一種の「不燃都市」を志向する人間が50年目に出てきたわけです。

 ですから、板塀と小さな垣根や何かの武家屋敷というのは50年しか寿命がなく、そのあとに不燃都市を志向した新しい江戸が出現しました。それと並行して、多摩川の水を引き込んで、庶民のための居住性をよりよくしていったのです。


●食生活への目配りはローマと江戸を比較するときの一つのテーマ


中村 この人は、為政者のための江戸をつくるんじゃなくて、庶民たちが充実した人生を送るための装置としての江戸ということを考えました。そのあたりが大した人で、今までの武断政治による考えの下ではとても出せない発想です。それまで、大名家は血統が途絶えたら、「はい、断絶」と言われ、後は飢えて死のうが関知せずという感じだったのが、突然こういうチャンネルに切り替わりました。突出した人物が出てくると歴史は変わるという例でしょう。この方の場合、江戸時代をいい方向に切り替えた、大変ユニークな日本人だと私は思っています。

本村 保科正之の時代に限りませんが、ローマと江戸を比較するときに一つのテーマになるのは、今おっしゃった庶民の生活を楽しませることや、基本となる食生活への目配りですね。保科正之という人物がすごいと思うのは、中村先生の著書『保科正之の生涯 名君の碑』(文芸春秋)で読んだエピソードですが、明暦の大火の時に倉庫を開放してしまうところ。確保するんじゃなくて、「どうせ焼けるなら、みんな持っていったほうがいい」と決断したのはすごいですね。

中村 浅草の米蔵に火が入って、これが全部焼けてしまうと来年の旗本・御家人に与える米俵がなくなるわけですね。それで咄嗟に「焼け残った米を持ち出した者にはその米を取り放題で与える」と指令したんです。それにより、どうせ焼けてしまう米が救援物資に早変わりしたわけです。あの即断する力というのはすごいですね。

本村 あれは即断というより、やっぱり普段から「何かあったら」という危機への認識があって、だからこそできたんじゃないかという気もします。

中村 なるほど。ボヤはよくあったでしょうからね。


●「パンのみにて生きるにあらず」が生んだ花見と剣闘士


本村 そういうふうに、常に民衆のことを考えるという面がまず一つあります。そして、「パンのみにて生きるにあらず」じゃないけど、人には楽しみもければいけない。それで、保科正之の時代よりは下りますが、徳川吉宗の時代に千本桜を植えて、隅田川沿いで花見ができるようにし、品川のあたりにも同様に名所をつくっていきました。そうすると、周辺にお菓子屋や茶屋などができるので、みんなが集まって楽しむような場がそこにできていったのです。

 ローマの場合はもう少し血なまぐさくて、剣闘士とか円形闘技場を造りました。民衆というのは飯だけ与えていてもいけない。楽しみがなきゃいけない。そういうものを活性化するための場をつくるという点が、やはり突出しています。ローマに剣闘士や戦車競走の場所がつくられ、江戸に花見の場所がつくられたのは、そこを中心に人が集まって楽しむということのはしりですね。

 ただ、これを見るときに、ローマと江戸の大きな違いがあります。これはおそらく洋の東西の違いだと思うんですけど、ローマの場合は戦車競走や剣闘士興行のところに皇帝が出てくるわけです。ところが、日本の場合、お忍びで将軍がどこかへ出てくるかもしれないけれど、花見に将軍や天皇は表立...
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