●商人にも遊女にも「道」がある
―― (前回)日本における士農工商ということばがありましたが、日本の場合さらに独特なものに、例えば石田梅岩の開いた「心学」があります。これは商人にも「商人道(商いの道)」を説くわけで、要するにみんな道にしてしまう。武士は武士道、農民は農民道(百姓道)、商人の場合は商道ということで、それに向かって一生懸命(活動して)社会的に利益をもたらしていくのはいいことだという独特の「道」の観念を日本人は発想していきました。
今回のお話でいうと、遊女の世界においても「道」的なものがあり、その社会にはその社会なりの秩序がある。トップスターから下位の人までいる中で、それぞれの秩序ができてくるというのは、非常に独特な社会構造になっていたのかという気がするのですが、ここはローマと比較すると、どうでしょうか。
本村 そういうふうに言われてみると、確かに日本は武士道であったり商人道であったりという方向に持っていく。何か一本筋の通った面があって、いろいろな例を挙げることができるし、野球選手だってイチローや大谷を見ていると、やはりどこかそういうところがあるのではないかという(笑)。
―― 職人的に突き詰める(ということでしょうか)。
本村 うん。体力面で言うと、あれぐらいの人はメジャーリーグの中で他にもいっぱいいるはずです。その中で、なぜイチローや大谷が突出した存在になるのか。何かその原因が、日本の中にあるのではないかという気が確かにします。
だから、ローマとの比較といわれますが、ローマには、何度も言ったように「父祖の遺風」というものがあり、祖先の行いを大事にして、それに負けないようにするということは確かにありました。しかし、農民は農民としての道を究めるというような意識は、ローマに限らず、前近代社会全体にあまりないのではないかという気がします。
●花魁が文化をリードした吉原の独特な洗練
―― 日本独特の面白さとして、先生のおっしゃる「遊び」をも含めて文化にしていくところがあるような気がしております。例えば遊女の世界でいうと、日本では「吉原」が一番中心になる場所かと思います。その吉原は、いわゆる公認された場所として存在していますが、その中で独特な文化が培われてきます。このあたりの文化性については、どのようにお考えですか。
本村 文化性というか、要するに「花魁」の存在ですね。こういう人たちはたぶん最初はそれこそどこか地方の田舎から、ちょっと顔のきれいな小さな女の子を見つけてきて、それを教育していくことで、目覚ましい花魁のトップスターになっていく。それこそ最初の頃は方言・訛りでしかしゃべれなかった子が、ああいう世界の非常に洗練された言葉を使うようになっていきます。
彼女たちが遊郭の中でトップクラスの遊女になると、そのお客として来るのは、当然それなりの人たちです。それらに対応するには、やはりそれだけの知識があったり、礼儀があったりして、会話を楽しむということがあるのではないかと思います。
―― ちょうど1冊本をご紹介すると、『吉原はスゴイ』(堀口茉純著、PHP新書)という本がございます。この中では、多彩な浮世絵などもふんだんに使いながら、吉原の文化を紹介しています。その一つとして、例えば吉原の場合、遊女と本当に親しくなるためには3回通わなければいけないということがあったようです。
その対応がいわゆるツンデレで、最初は「初会」ということなので、行ってもツンツンした対応を受ける。非常に冷たい対応をされて、場合によっては「今日はお忙しいので」ということで、床入りもさせてもらえません。2回目で「裏」を返しに行くと、少しだけ近づいてきてくれる。3回目で「馴染」になると、いよいよいわゆるデレデレと言いますか、本当に親しくしてくれるようになる。
しかし、3回通って馴染になると、吉原という世界の中では擬似的に結婚したかたちと周りから見なされるようになる。万が一他の遊女に浮気をしたりすると、大変な制裁を受ける。それこそ呼び出され、みんなからボコボコにされるような、非常に大変な目に遭うということのようです(笑)。
このような一種独特の疑似夫婦ということも含めた文化性があるかと思えば、花魁クラスになると非常に高い教養があったりするということだったようです。日本の場合、職業差別というよりも、どの職業であれトップクラスの人は尊敬されて、「やはりすごいものだ」と認識されるような風潮があったようにも思います。
●江戸のエンタメ・スポットとポンペイの小規模施設
―― この本(『吉原はスゴイ』)によると、吉原というのはみんなが行くところで、お祭りのときなどは女性や子どもも行くような、一種のエンタメ・スポット的な場として認識されてい...