●アフリカのホモサピエンスが世界中に広がった
―― 本日は国立科学博物館人類史研究グループ長で、「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」の代表をお務めになった海部陽介先生に、「最初の日本列島人」というテーマでお話を伺いたいと思っています。
海部先生、どうぞよろしくお願いいたします。
海部 はい、よろしくお願いします。
―― ニュースでも大変話題になりましたが、こちらの丸木舟で台湾から与那国への航海をついに成功されたということで、おめでとうございます。
海部 ありがとうございます。
―― 本当に、人類がどうやって広がっていったかという、非常にロマンのある研究だと思いますので、ぜひそこを今日はいろいろとお伺いできればと思っています。まず、そもそもですが、人類がどこから、「現人類」といいますかホモサピエンスが、どこから広がっていったかというところなんですが、最近の学説だとアフリカからだと。
海部 そうですね。これはもう完全に定説化していて、いろんな強い証拠があって「そうだ」と考えられています。かつての教科書には、人類そのものはもともとアフリカで猿人などとして誕生するとあったわけですね。それが、原人の時代にアジアに広がって、北京原人、ジャワ原人が現れ、また、ヨーロッパの旧人としてネアンデルタール人みたいな人たちが現れる。そこからそれぞれの地域の現代人(ホモサピエンス)が生まれてきた、というのが古い教科書にあった考え方です。
今はそうではなくて、アフリカにいた旧人集団からホモサピエンスが進化し、それが世界中に大拡散して各地にいた原人、旧人集団と基本的に置き替わる。若干の混血があったらしいんですけど、そうやってホモサピエンスだけの世界になっていったということが、分かってきました。
その過程で、ホモサピエンスは旧人、原人がいた範囲を越えて、海の世界に乗り出したり、北の寒い大地に乗り出したりして世界中に広がっていった、という時代があったということですね。
●環境に適応しながら、たまたま日本にたどり着く
―― アフリカからやってくるということになると、アジアに来るだけでも相当長い距離になりますが、ある人に伺った話ですと、そもそもアフリカから日本にまで、この距離をずっと移動してくるようなホモサピエンスというのは、ホモサピエンスの中でもちょっと冒険心に富んでいるというか、変わり者が多かったんじゃないか、ということですが、先生はその辺り、どのように考えていますか。
海部 これは簡単には言えないと思うんですね。というのは、当時の人たちは世界地図を持っているわけじゃなく、日本列島を目指してきているわけじゃないですから。彼らにはそういう知識はないですし、目に見えるものが全ての世界という時ですね。だから、同じ時に隣の集団が何をやっているかというのも知らないわけです。
そういう中で移動してきた人たちで、ある意味たまたま日本列島に到達したということなんだと思うんですね。ただ、その過程にはいろいろ新しい環境があって、そこで適応しなければいけない、工夫しなければいけないということが起きたはずです。特にアジアは非常に自然環境が多様ですから、その中でそれぞれの集団が、各種の新しい環境にいろんな形でどんどんと適応しながら移動していったということになるんだと思います。
●ホモサピエンスはいつ頃、どんなルートで広がっていったのか
―― そのアフリカから動いてきたホモサピエンスが、アジア、あるいは極東に到達するのはいつぐらいと考えればよろしいのでしょうか。
海部 年代に関しては、いろいろ論争がずっとあり、10万年前くらいだという考えもありますが、確実な証拠からだけでいうと、5万年前以降に大きな拡散が始まったということです。それより前にどこまでさかのぼるかということに関して、細かい論争があるんですけれども。
―― アジアに来るのにいろんな説がこれまであった、ということですが、例えば先生の本(『日本人はどこから来たのか?』)などを拝読すると、「海岸沿いを来たんじゃないかという説が有力だったが、それについては」というようなご意見もありました。先生のお考えだと、どういうルートからアジアまでたどり着いたということになるでしょうか。
海部 ヒマラヤ山脈という巨大な障壁があるわけですから、そこだけは通れないということを前提として決めると、大きく言ってその南側を通るのか北側を通るのかということになります。そこには両方とも古い遺跡があるんですね。ですから、中央アジアの方で分かれた集団が両方のルートをたどって行ったんじゃないかなということは、考古学的には類推ができます。
ただこれも、遺跡の証拠をたどるとそういう見方ができると思うんですが、この先もっと遺跡...