●航海実験の難しさは海が変化すること
―― それで今回、この(丸木舟という)形で実際に渡れることが分かった、と。
海部 渡れることが分かったんじゃなくて、もう渡っていることは分かっているんです。
―― そうでした。それがどの技術で行ったかということですね。
海部 どういう技術が最低限必要かということと、それがいかに難しいかということを知りたかったんですね。僕ら研究者は地図の上に矢印を書いて終わってしまうことがあるんですけれど、その矢印の持っている意味があるわけです。その矢印というのは簡単な矢印では絶対ないんですね。それを知りたかった。そのための実験だったんです。
―― 今回実際に舟をお作りになるところから始めて、5人の方々がこの丸木舟に乗って行かれたわけですね。先生が当然、事前に想像していた難しさ、それから今回、航海実験をして初めて分かった難しさというのがあると思うんですけれど、具体的にはどういう難しさがありましたか。
海部 やはり海が変化するということですね。
―― 海が変化する、と。
海部 今日行った海と明日行く海は変わるんですね。違うんです。その条件をクリアしないといけない。そういう条件でも対応しないといけないということが多かったと思います。
―― 今回の航海は条件としてはどうだったんですか。波の荒さとか、風とか。
海部 いい条件ではなかった。要するに、楽々と行けるような海ではなかったんですね。でも、そういうときもあると思います。それに対応しないといけないし、それぐらいじゃないと海には出られないと思います。
―― そうですね。ところで、方角を知るのは当然、太陽とか星とか…。
海部 実験航海では、GPSだとかコンパスだとか時計だとか、そういうものは持たずに行っています。昔の人と同じ条件でやろうというのが基本です。
―― 当然、伴走の人たちは…。
海部 見ているだけですね。僕らは情報を教えません。
―― そうすると、先生は、伴走船にいらっしゃったと思うんですけれども、当然随分ハラハラする局面とかもあったでしょう。
海部 そういうこともたくさんありましたね。
―― どの辺りが一番ハラハラされましたか。
海部 途中で逸れそうになった時もありましたので。それから明らかに疲労がたまっている時とかありましたからね。
―― それは、自分で漕いでいるわけでもないですから、見ていてなかなか辛いところではありますね。そうして、実際にそういう形で与那国島には行けた、と。
海部 そうですね。僕らはそこに到達することができました。
●日本に「最初」に来た人たちの挑戦に興味を持って研究を進めている
―― そこで、この沖縄ルートで到達した何人かの人たちがそこからどうやって日本の中へ広がっていったかというところなんですが。
海部 これもはっきりと分かってはいないんですけれども、さっき申しましたようにおそらく琉球列島は北と南の両方から人が入ってきた可能性が高いので、少なくともどちらか一方から通り抜けてどちらかに行った、みたいなことはないだろうと思います。
―― なるほど。日本人のルーツというのは、これまでもいろいろ議論されてきました。柳田国男さんの説も含めて、南方から南方系の文化が来ているんじゃないか、と。そのイメージでいうと、例えば鹿児島から来てそこから海人(あま)文化になっていくみたいな議論など、いろいろあったと思うんですけれども、先生はそのあたりどのようにお考えでしょうか。
海部 僕らは最初にここ(日本)に来た人たちがどこから来たのか、どうやって渡ったのかということにフォーカスして話をしています。琉球列島はこの後、縄文時代に縄文文化が九州の方から下りてきたり、そのさらに後にもいろんな移住があった可能性がありますね。その辺は今、さまざまな形で新しい研究がされているところですけれども、この後の時代、あるいは今の現代の私たちがどうかというのは、別の問題になります。
ただ、僕はそれを調べているわけではなくて、とりあえず最初に来た人たちがいかに困難を乗り越えて来たのか、ということに興味を持って研究をやっています。
●航海実験を通して感じる人間の潜在能力の素晴らしさ
―― そうすると、逆に見えてきた人類の可能性といいますか、実験をやっていく中でそういういろんな部分での気づきをおありだったと思いますが。
海部 それが一番大きいところです。要するに、ホモサピエンスですね。この僕らの種というのが、太古の昔から何をやって、どういう歴史のもとに今の僕らがあるのか、というのを知りたいと思っています。
日本でも縄文時代以降のことは比較的良く知られています。それから、世界でも文明以降のことは良く知られている。でも、その前があるし、文明...