●難しいからこそ挑んだ沖縄ルート
―― いよいよ今回の実験で先生が研究された沖縄ルートについてということになるんですけれども、普通に考えると非常に難しいというか、非常に距離もあるので、なぜそこに着目されたんでしょうか。
海部 実は最古の渡来ルートではないんです。ですから、そういう意味ではなく、単に難しいからです。沖縄は島が小さくて遠く、それから黒潮という世界最大の海流がそこに入っている。だから非常に難しいんですね、考えただけでも。
ですが、島に人がいました。これはもう確実ですね。遺跡がありますので。3万年前になると、琉球列島のほぼ全域に人が突然、現れるんですね。これは僕らが思っていたような話とは違う。つまり、その頃の人たちがそんな難しい海を渡れるなんて、今まであまり考えていなかったんですね。どうも何か僕らは思い違いをしているのではないか、ということで、この実験プロジェクトを始めました。
●当時の技術で黒潮をどうやって越えるかを徹底再現
―― これは非常に素人考えでいくと、北から来るか、南の台湾の方から来るかということになると思うんですけれど、北からというのは黒潮が流れているから、当時の技術では難しいということですか。
海部 黒潮の影響のない種子島であれば、九州から南下しているであろうというのが、旧石器考古学の人たちの共通した見解になっています。ただ、そこからトカラ列島を越えて、いわゆる中央琉球、奄美大島、徳之島、沖縄島、この辺りにどっちから入ったかというのは、はっきりとは分かっていないんですね。人類学では伝統的に南の方から来ただろうと言われているんですけれども、ここはもう少し研究などから見ていく必要があると思います。
他には八重山ですね。宮古島、石垣島でも古い遺跡が発見されています。いろんな証拠があり、どれも決定的ではないんですけれども、総合すると南から来たという可能性が高いんですね。ですから、琉球列島への人の流入というのは、北と南と両方あったんじゃないかなと考えるのが、今のところ妥当です。どっちか一方からと考えるのは、相当無理があると思いです。
つまり、北の九州から石垣島まで下りてくるというのは、これはとんでもない話になります。黒潮の流れに逆行しないといけないし、宮古島と沖縄島の間は一番距離が...