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「3万年前の航海」に挑んだ徹底再現プロジェクトとは

最初の日本列島人~3万年前の航海(2)3万年前の航海を徹底再現

海部陽介
東京大学総合研究博物館 教授
情報・テキスト
3万年前、ホモサピエンスは日本にどのようにして渡ったのか。それを解明するため、海部陽介氏は台湾から沖縄に向かうルートを使って実験航海を行うプロジェクトを敢行。当時と同じ材料と道具、技術で舟を作り、航海に臨んだのだ。試行錯誤の末、丸木舟という方法にたどりついたが、当時の彼らからすれば、それは冒険ではなく「移住」のためのものだった。(全3話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(10MTVオピニオン編集長)
時間:13:35
収録日:2019/08/29
追加日:2019/10/01
カテゴリー:
キーワード:
≪全文≫

●難しいからこそ挑んだ沖縄ルート


―― いよいよ今回の実験で先生が研究された沖縄ルートについてということになるんですけれども、普通に考えると非常に難しいというか、非常に距離もあるので、なぜそこに着目されたんでしょうか。

海部 実は最古の渡来ルートではないんです。ですから、そういう意味ではなく、単に難しいからです。沖縄は島が小さくて遠く、それから黒潮という世界最大の海流がそこに入っている。だから非常に難しいんですね、考えただけでも。

 ですが、島に人がいました。これはもう確実ですね。遺跡がありますので。3万年前になると、琉球列島のほぼ全域に人が突然、現れるんですね。これは僕らが思っていたような話とは違う。つまり、その頃の人たちがそんな難しい海を渡れるなんて、今まであまり考えていなかったんですね。どうも何か僕らは思い違いをしているのではないか、ということで、この実験プロジェクトを始めました。


●当時の技術で黒潮をどうやって越えるかを徹底再現


―― これは非常に素人考えでいくと、北から来るか、南の台湾の方から来るかということになると思うんですけれど、北からというのは黒潮が流れているから、当時の技術では難しいということですか。

海部 黒潮の影響のない種子島であれば、九州から南下しているであろうというのが、旧石器考古学の人たちの共通した見解になっています。ただ、そこからトカラ列島を越えて、いわゆる中央琉球、奄美大島、徳之島、沖縄島、この辺りにどっちから入ったかというのは、はっきりとは分かっていないんですね。人類学では伝統的に南の方から来ただろうと言われているんですけれども、ここはもう少し研究などから見ていく必要があると思います。

 他には八重山ですね。宮古島、石垣島でも古い遺跡が発見されています。いろんな証拠があり、どれも決定的ではないんですけれども、総合すると南から来たという可能性が高いんですね。ですから、琉球列島への人の流入というのは、北と南と両方あったんじゃないかなと考えるのが、今のところ妥当です。どっちか一方からと考えるのは、相当無理があると思いです。

 つまり、北の九州から石垣島まで下りてくるというのは、これはとんでもない話になります。黒潮の流れに逆行しないといけないし、宮古島と沖縄島の間は一番距離が遠いので、そこも突破しなければいけない、ということになりますね。ですから、今のところ、そうだ(北から来た)と考える証拠というのはないんです。

―― それで、南から来たんじゃないかと。

海部 そうですね。一番伝統的でオーソドックスなシナリオにのっとって、僕らは実験をしました。ですから、「祖先の人たちが確実に渡った」という海を渡るという選択肢が取れないわけです。ですが、ある意味どこでもいいんですね、乱暴なことを言うと。僕らがやりたいのは、この海を当時の技術で渡るというのは、どういうことなのか。渡るための技術をどれだけ持っていなければいけないのかということを知りたかったので、その象徴的な海峡として、僕らは台湾から与那国島へ渡るという実験をやったわけです。


●第一の挑戦は草束舟での航海


―― これも一筋縄ではもちろん行かなくて。いろんな船を当時の技術でお作りになっていますけれども、最初は草を束ねた草束舟というものをお作りになっているんですね。

海部 まず遺跡には当時の舟は残っていないので、何の舟を使ったか分からない。分かっているのは「人がいた」ということだけですね。島に人がいた。通常だったらそこで研究はおしまいになってしまうんです、「証拠がないのでやれません」ということで。

 でも、そこをなんとか知りたいということで、選択肢をしぼるというアプローチを取ることにしました。縄文時代に丸木舟が存在しているので、それを超えちゃいけないというのがまず1つ。それから、材料は地元で入手できなければいけない。また、当時の技術で作れるということを確認しないといけない。

―― 石器とかですね。

海部 そうですね。そして最後は、海に出してちゃんと機能するということ。この4つの条件をクリアする舟を探すということをやったわけです。そうして、全部の舟を作ったんです。

―― それで最初は草束舟ということで、浮力は予想以上に良かったんだけれども、ということですが…。

海部 2016年に草の舟を作りました。与那国島で作って西表島を目指すテストをするんですけれども、これがうまくいかなかったんですね。草の舟というのは、とても浮力はあるし、安定しているし、浮力体として非常に安心できるということは分かりました。

 ですが、スピードが出ない。しかも海にはいろいろと複雑な海流があり、これが変動しているので、それ...
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