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近年の研究で変わってきた織田信長の実像

天下人・織田信長の実像に迫る(1)戦国時代の日本のすがた

柴裕之
東洋大学文学部史学科非常勤講師/文学博士
情報・テキスト
織田信長
織田信長というと、一般的には近世という時代を切り拓いた革命児として知られているのではないのでないか。ところが、近年の研究でその見直しを図られているという。織田信長とはいったいどんな人物なのか。織田信長の実像を探っていく。今回はその前段として、戦国時代の日本はどのような状況だったのかについて解説していく。(全11話中第1話)
時間:06:14
収録日:2020/03/17
追加日:2020/07/06
≪全文≫

●最新研究で変わってきた織田信長のイメージ


 皆さん、こんにちは。東洋大学非常勤講師の柴裕之です。今日は、皆さんに織田信長についてお話をしたいと思っております。

 皆さん、織田信長というと、どういう人物だと思われているでしょうか。一般的に織田信長は、中世という時代を終わらせ、近世という時代を切り拓いた革命児として知られているのではないのでしょうか。要するに織田信長は、バラバラだった国内を革新的に一つにし、新たな経済政策を行っていった。そのようなことで一番よく知られているかと思います。

 ところが、近年の研究は信長に対して、同時代人、要するに同時代に生きた人間として見直しを図るようになってきています。今回のシリーズではそうした成果を踏まえながら、今、織田信長という人物がどのように改めて描かれてきているかということを、皆さんにお話ししていきたいと思っています。


●戦国時代の日本は、その内部に複数の国々が存在した


 お話しするにあたって、この講義で注目したいのは、「戦国時代の日本はどのような状況であったのか」ということ。まず、これについて見ていきたいと思います。

 戦国時代の日本というと、皆さん、どのようなイメージをお持ちでしょうか。一般的には、戦国時代というと、国内がバラバラになってしまった状況をイメージされるのではないかと思います。ところが、戦国時代の日本は、今と違って、日本というまとまりはありながらも、その内部には複数の国々が存在したことが分かっています。

 どういうことなのかというと、戦国時代の日本というのは、戦国大名、あるいはそれより規模の小さい存在を国衆と申しますが、そうした存在による国家が各地に作り上げられ、運営されていたことが分かっているのです。


●当時、「天下」とは京都周辺の五つの地域のことだった


 そして、もう一つ注目していただきたいのが、「天下」といわれる存在についてです。天下というと、皆さんはやはり「日本全国」というものをイメージされるかと思います。

 ところが、戦国時代、あるいは信長や秀吉の時代にはヨーロッパから人々がやってきます。これらヨーロッパからやってきた人々の記録を見ると、どうやら、私たちの知っている「天下」とは違う状況であることが分かっています。

 それらの記録を見ると、「『天下』というのは、都の周辺に位置する『五畿内』なる五つの領国である」という表現が出てくるのです。都というのは、ご承知のように当時の首都である京都を意味しますが、その京都周辺の五つの地域が当時の言葉で「五畿内」といわれる地域に当たります。

 五畿内というのは、京都(山城国)と、その周辺の摂津国、河内国、和泉国、そして大和国。大まかにいうと、現在の京都府中心部から大阪から神戸にかけての地域と、奈良県です。これらが、現代風にいえば、当時の「首都圏」といった地域に当たるかと思います。京都を中心とした当時の首都圏の地域を指して「天下」「五畿内」といわれたことが分かっています。

 つまり、戦国時代の日本というのは、現在のように国内が一つになっているのではなく、中央に「天下」といわれる空間(地域)があり、各地には戦国大名や国衆と呼ばれる存在が治める地域国家が存在した。そういった複合的な国々の上に「日本」というものがあったということを、まず押さえておいていただきたいと思います。


●「戦国大名」と「国衆」の関係


 そして、次に押さえていただきたいのは、戦国大名と国衆といわれる存在の関係です。

 今、申し上げたように、戦国大名や国衆というのは、各地において地域国家と言うべきものを作り出した存在です。それと同時にもう一つ踏まえていただきたいのは、戦国時代が展開するにあたって、国衆と言われる存在がやがて戦国大名の下に統合されていき、その戦国大名の下で、また統合圏が作られていったことです。

 その統合圏の維持をめぐって、大名同士が激しい戦いを行っていくようになったのが1550年代頃、戦国時代の世紀に当たる時代です。では、そうしたなかで、織田信長はどのように登場し、どのような活動をしていったのか。それを次に見ていきたいと思います。
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