●最新研究で変わってきた織田信長のイメージ
皆さん、こんにちは。東洋大学非常勤講師の柴裕之です。今日は、皆さんに織田信長についてお話をしたいと思っております。
皆さん、織田信長というと、どういう人物だと思われているでしょうか。一般的に織田信長は、中世という時代を終わらせ、近世という時代を切り拓いた革命児として知られているのではないのでしょうか。要するに織田信長は、バラバラだった国内を革新的に一つにし、新たな経済政策を行っていった。そのようなことで一番よく知られているかと思います。
ところが、近年の研究は信長に対して、同時代人、要するに同時代に生きた人間として見直しを図るようになってきています。今回のシリーズではそうした成果を踏まえながら、今、織田信長という人物がどのように改めて描かれてきているかということを、皆さんにお話ししていきたいと思っています。
●戦国時代の日本は、その内部に複数の国々が存在した
お話しするにあたって、この講義で注目したいのは、「戦国時代の日本はどのような状況であったのか」ということ。まず、これについて見ていきたいと思います。
戦国時代の日本というと、皆さん、どのようなイメージをお持ちでしょうか。一般的には、戦国時代というと、国内がバラバラになってしまった状況をイメージされるのではないかと思います。ところが、戦国時代の日本は、今と違って、日本というまとまりはありながらも、その内部には複数の国々が存在したことが分かっています。
どういうことなのかというと、戦国時代の日本というのは、戦国大名、あるいはそれより規模の小さい存在を国衆と申しますが、そうした存在による国家が各地に作り上げられ、運営されていたことが分かっているのです。
●当時、「天下」とは京都周辺の五つの地域のことだった
そして、もう一つ注目していただきたいのが、「天下」といわれる存在についてです。天下というと、皆さんはやはり「日本全国」というものをイメージされるかと思います。
ところが、戦国時代、あるいは信長や秀吉の時代にはヨーロッパから人々がやってきます。これらヨーロッパからやってきた人々の記録を見ると、どうやら、私たちの知っている「天下」とは違う状況であることが分かっています。
それらの記録を見ると、「『天下』というのは、都の周辺に...