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家臣からの諫言の逸話が物語る織田信長の実像

天下人・織田信長の実像に迫る(7)織田政権への忠義

柴裕之
東洋大学文学部史学科非常勤講師/駒澤大学文学部歴史学科日本史学専攻非常勤講師/ 文学博士
概要・テキスト
佐久間信盛
織田信長というとワンマンの印象が強く、家臣たちは皆戦々恐々として、その命令に従っていたイメージがある。果たして、本当にそうだったのか。実際の信長は、時には家臣からの諫言にも耳を傾けていたようだ。信長が家臣たちに求めていたのは織田政権への忠義である。これは当時の戦国大名の在り方そのものであり、それがやがて不幸を招いていく。(全11話中第7話)
時間:11:26
収録日:2020/03/17
追加日:2020/08/10
≪全文≫

●家臣たちは「何事も信長申す次第」に縛られたのか


 前回では、織田信長は同時代の諸勢力を排除するのではなく、共存の上で国内を統合していく天下人であったことを見てきました。それでは、信長を支える家臣はどうあったのか。今回は、そこを見ていきたいと思います。

 本能寺の変の前、信長の勢力圏は、この図にあるように、東は関東から、西は中国地方に及ぶようになってきます。さらに、ちょっと押さえておいていただきたいのは、今も申し上げたように直接的に織田家が治める地域は関東から中国地方ですけれども、この頃、東日本で信長と敵対する勢力は、越後の上杉氏と、それに協力する勢力のみになっていることです。天正十(1582)年になりますと、そのように信長の下で国内がまとまっていく状況ができてきます。

 では、そのなかで、織田の勢力圏はどのように運営されていたのか。これが信長と家臣との問題になってくると思います。一般的にどのように言われているかというと、信長は各地に自分の信頼する重臣を派遣して、その地域の平定と支配を進めていったということです。

 この在り方自体は、他の戦国大名においても見られることですので、特段注目するべきことではありません。信長について押さえておいていただきたいのは、彼が自分で全部取り仕切っていた、つまり彼の命じたことを任された家臣たちは、忠実に行うことが求められる存在だと言われていたところです。

 これが本当にそうなのかどうかが問題です。越前国掟」という史料を見ると、「何事においても、信長申す次第に覚悟肝要に候」とあり、要するに「何事についても、信長が言った次第、行うべきである」と書かれています。ここからすれば、家臣たちは信長に言われた通りに活動していかなければならないということになってきます。


●戦国時代の統治者には求められていた「諫言」の受容


 しかし一方で、もう一つ注目していただきたいのは、「無理難題であると思いながらも、巧みに応じるのはけしからん」と信長が言っていることです。どういうことかというと、「これは無理であるし、望ましくないのだけれども、信長様に言われたのだから、その通りにしなければならない」といった態度は好ましくない。そういったことがあったときには、信長に意見するように、ということです。

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