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天下人となった織田信長が努めたのは朝廷や寺社の保護だった

天下人・織田信長の実像に迫る(5)朝廷・寺社との関係

柴裕之
東洋大学文学部史学科非常勤講師/文学博士
情報・テキスト
天下人となった織田信長は、これまで「革命児として朝廷や寺社勢力を排除した」というイメージで伝えられてきた。しかし最近の研究によると、実情はそうではない。朝廷や寺社を保護し、同時代の政治や社会の「保障者」であろうと努めた信長の実像を、ここでは掘り下げてみたい。(全11話中第5話)
時間:15:52
収録日:2020/03/17
追加日:2020/07/27
≪全文≫

●朝廷や寺社勢力の保護に努めることが天下人・織田信長のスタンス


 さて、天下人となった織田信長は、いったいどのような立場を歩んでいったのでしょうか。今回はそういったことを、中央にある朝廷や、朝廷に深い関わりを持つ寺社との関わりから見ていきたいと思います。

 一般に私たちには、「信長は革命児だから朝廷や伝統的な宗教(寺社)勢力を排除していく」というイメージが強いのではないのでしょうか。ところが、実際の信長はどうだったかを見ていくと、実は彼らを支えていく活動を行っていたことが分かっています。具体的にいうと、彼らの活動基盤である所領(寺社の場合は本所領)を、織田信長は保護していたことが分かっています。

 こうした立場が信長だけの特別な行いかというと、決してそうではありません。戦国時代に天下人としてあった、室町幕府の将軍足利氏が行っていたことを信長も引き継いだということです。すなわち、天下人になった信長は、その立場から、天下と深い関わりを持つ朝廷や、朝廷と関わり深い寺社勢力を保護する存在になったということです。ですので、彼らの保護に努めることが信長のスタンスとしてあったことを、まずは押さえておかないとなりません。


●「天皇に譲位を迫った」「朝廷を意のまま」説の真実


 そうなると、朝廷や寺社勢力との具体的な関わりはどうだったのかが、次の問題になってくるでしょう。そこで信長と朝廷について見ていきたいと思いますが、一般的に信長というと、「天皇に譲位を迫った」とか「朝廷を意のままにしようとした」といったことが言われているかと思います。

 実際のところは、まず天皇の譲位からお話しすると、これについては天皇側が持ち出したことだったのが分かっています。中世の天皇というのは、亡くなるまで天皇の立場にいるのではなく、譲位を行うのが基本的なスタイルでした。ところが、戦国時代には譲位を行う費用がないため、天皇が亡くなるまで天皇にあり続けるといった、異常ともいうべき事態が起きていました。そういったなかで、信長は天皇側の要請を受けて、譲位を行うように取り計らうことに努めていたことが分かっています。

 朝廷の運営についてはどうだったのでしょう。この時代、朝廷という存在は「政治」という面で日本を支配していくことはなくなっていたのですが、実は「秩序」という側面では依然として活動を続けていたのです。秩序というのは、例えば改元、官位の授与、宗教勢力を「本末体制」のように統制することなどです。朝廷が担うそのような役割に対して、信長がどういう態度を取っていたかというと、基本的に「支える」というスタンスを取っています。

 では、支え方自体はどのように行われたかが次の問題になるでしょう。この頃の朝廷の運営は、天皇と、天皇と関わり深い側近のなかで物事が決められてしまうようなことが、日常的に行われる状況でした。側近との間で決められるのは、重要事項ではない事柄でしたが、場合によっては前に決めたことが覆ってしまったり、恣意的な判断がなされてしまったりすることが起きていました。そういうことから、朝廷の権威に大きく影響するような事態が起きていたわけです。


●朝廷に介入せず、正常な運営に努めた織田信長


 こうした事態に対して信長はどうしたかというと、朝廷という存在に対して正常な運営を求めていきます。天皇と側近の間だけで政治が進められていく状況を是正するために、それを審議したり諮問したりする存在を、信長は五人ほど選びました。この五人の審議や諮問を経た上で運営が行われていくようにしたわけです。

 そのようにして、朝廷の判断が正しく行われていくことを信長は求めていくわけですが、なかなか現実にはそうはいかないところも出てきます。そうした状況が起きたとき、信長はどうするかというと、判断のやり直しを求めていきました。

 でも、それが介入なのではないかと思われる方もあるかもしれません。しかし信長は、問題がなければ介入という方策は取りませんでした。ただ、「これはどうしても恣意的なことであり、本来あるべき姿ではない」と判断されたときにだけ、信長が関わっていくというスタンスを取っていたことが分かっています。

 信長自身の残した「禁裏被失脚外聞之儀候、左候ヘハ信長も同前失面目候」という言葉があります。どういうことかというと、「朝廷が世間から立場を失墜するようになってしまえば、それを支える天下人である信長も、面目を失ってしまう」という意味です。

 信長自身がこのように言ったことで示されるように、彼は朝廷の正常な運営に努めていたことが分かってきています。つまり、信長には、朝廷という存在を否定するなどという気はこれっぽっちもなかったことが、ここから分かってくるのではないでしょうか...
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