●「領域権力」という新しい統治構造
次に、戦国時代に新しく生まれてくる統治権力についてお話しします。これは一般に「戦国大名」と呼ばれていますが、この戦国大名とは、それまで日本列島に存在していた政治権力とは全く性格が異なる、新しい性格の権力です。
これまでの政治権力とは何が一番異なるのでしょうか。関東には北条家という大規模な戦国大名が存在していました。戦国時代が終焉するのが小田原合戦であり、ここにおいて羽柴秀吉が北条家を滅ぼしました。これが基本的には戦国時代最後の合戦とされています。つまり北条家は、戦国時代の最後の段階まで存続していました。
これは北条家の領国図です。この図では、領国の範囲を太線によって示してあるのですが、一円的な範囲を覆っているということが分かります。それ以外のところは、別の大名の領国なので、この領国の範囲を示している線そのものが、現在でいう国境線に当たります。
こうした政治権力の在り方は、「領域権力」と呼ばれています。一定領域を排他的に統治する権力のことです。現在のわれわれの国民国家も領域権力を持っています。
●戦国時代、軍事拠点としての城郭が恒常的に存在するようになる
領域権力はどのような段階を踏んで生まれてくるのでしょうか。まずいえるのは、領域権力は、日本列島においてこの戦国時代になって初めて生まれてきたものだということです。室町時代までの領主は、このような領域権力を持ってはいませんでした。戦国大名による戦国時代になり、戦争の恒常化が進む中で、戦国大名たちの領域権力が誕生しました。
戦国大名が誕生してくる前提として、戦争の恒常化がありました。領域権力誕生の要因も、実は戦争を遂行するという性格にあります。現在の国民国家も、実は近代社会に展開する中で、戦争のためにつくり出された権力です。そのため、現在の国民国家は領域権力や領域国家としても存在しています。
その戦争の恒常化に伴い、まず軍事拠点である「城」というものが恒常的に存在するようになります。城も、古代から軍事施設を指してそう呼ばれていたのですが、この城郭が恒常的かつ日常的に存在するようになるのは、戦国時代になってからです。
●軍事拠点である城郭に政治拠点としての性格が付与されるようになった
なぜ恒常的かつ...