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北条氏康が行った天文19年の政治改革とは

百姓からみた戦国大名(6)統一的な税制改革

黒田基樹
駿河台大学副学長・法学部教授/日本史学博士
情報・テキスト
北条氏康(北条家3代目当主)
村の安定的な存続のために、戦国大名は領国内で一律の制度をつくることを試みた。北条家の事例では、天文19年、北条氏康の政治改革によってそれが達成される。このきっかけとなったのは、地震災害によって生活費の工面ができなくなった百姓を統一的に救済する策の実施であった。(全8話中第6話)
時間:11:23
収録日:2019/03/20
追加日:2019/10/20
キーワード:
≪全文≫

●一律の制度形成というさらなる課題


 次なる課題は、領国内で一律の制度をつくり、どう適用させるかということです。

 戦国大名の領国は、例えば北条家の領国の場合、最終段階では伊豆、相模、武蔵、上野、下野、下総、上総の7カ国にわたるほど広大な領国になっていました。その中で、租税徴収の仕組みは統一されていきました。これも、それまでの室町時代ではあり得ないことです。

 それまでは、各地域において支配契約が存在し、租税の納入契約がそれぞれによって結ばれていました。例えば、升の大きさや度量衡なども、場合によっては全て異なっていることが普通でした。それで困らなかったのです。それは、それぞれの荘園について、「年貢は特定の升で何合、何升」といった形で決められる契約だったからです。

 ところが、戦国大名は領国の各村から同じように、大普請や陣夫役を徴収する必要があり、その基準を一律にする必要が生じました。しかし、それもある段階の中でようやくつくり出されたものです。北条家の場合、そのきっかけになったのが、戦国時代が始まってから100年ほどたった天文19(1550)年4月の政治改革です。これにより、一律の基準がつくられました。


●百姓が逃げ出し、村が成り立たない状態に


 この時、北条家の領国は、「国中諸郡退転」と呼ばれる状態でした。国中諸群とは、領国全域という意味です。退転とは、村々から百姓が逃げ出してしまい、村が百姓不足になっている状態です。村の百姓不足は、作付面積の縮小をもたらします。作付面積が縮小するということは収穫量が減るので、それはそのまま、大名やその家来たちが徴収する年貢が少なくなるということを意味します。「国中諸郡退転」が領国全域で起こっているということは、極めて深刻な事態です。

 どうしてこのような状態になったのか、定かではいないのですが、前年に東国一帯で大地震が発生していますので、おそらくその地震災害が要因だろうと考えられています。

 その国中諸群退転という危機的状況の中で、この時の北条家当主である3代目の北条氏康は、百姓を帰村させるための対策を取りました。多くの村々で、百姓がどこかに逃げ出してしまっていたのですが、これを元に戻すという対策を取ったのです。


●地震災害によって生活費の工面ができなくなった


 しかし、どうして百姓は逃げ出してしまったのでしょうか。多くの百姓は毎年、耕作開始時期に借金をして生活費を工面し、秋の収穫によってそれを返済するというライフスタイルでした。ところが、前年に地震災害があり、当然そこでは不作、つまり作物が採れない状態に陥りました。このため、多くの百姓が借金が返済できない状態になっていました。そうなると、お金を融資する方も貸し切れなくなってしまいます。

 すると、百姓もお金を借りられなくなるので、秋までの生活費が維持できません。その場合、百姓はその村にいてもしょうがないので、逃げ出して別の村に移住します。別の村では耕作されなくなった荒れ地が存在しており、そこを耕地に復旧する対策が取られていたので、百姓はそこを新しい村として生活をしたのです。

 しかし、荒れ地の復旧は10年越しのものです。この時の大名である氏康は、そんな悠長な対策は取っていられないと考え、とにかく逃げ出した百姓を元に戻すための対策を考えました。


●全ての村を対象に統一的な負担軽減策を実施


 その対策は、直轄領、給人領の区別なく、領国の全ての村に対して、統一的な負担軽減策を取るというものです。それぞれの村は大名との関係や年貢の行き先によって村の性格が異なっており、大名に年貢を納める村を大名の「直轄領」といいます。それに対して、大名の家来に年貢を納める村を「給人領」といいます。給人とは大名の家来のことです。氏康の対策は、こうした領ごとの区別をなくして、全ての村に対して統一的な負担軽減策を行うというものでした。

 負担軽減策としてはまず、大名が各村から収取する戦争費用のための租税を改革することが挙げられます。これは、租税の種類を少なくしたり、課税率を下げたりすることが中心の改革でした。その他にも、直轄領における代価や給人領における給人の恣意的な公事賦課について制限がかけるというものがあります。これは、各村が大名に対して戦争費用を負担する、その妨げになるほどの代官や給人の租税賦課があった場合に、そのこと自体を訴えることを認めるというものです。

 本来、代官や給人は、自分の代官地や所領からの租税を徴収することで自分たちの財政を成り立たせていたので、どれほどの税金をかけようが大名は関知をしないというのが普通でした。

 ところが、そうした状況...
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