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明智光秀という存在が与えた歴史的な意味とは

明智光秀の真実(5)「本能寺の変」後の光秀とその真価

小和田哲男
静岡大学名誉教授/文学博士
概要・テキスト
「本能寺の変」の後、明智光秀は山崎の戦いに臨むが、孤立し敗れ、小栗栖の地で落武者狩りに遭う。この後、徳川家の儒教道徳支配が続くため、本能寺の変は極悪非道といわれるが、 戦国時代という観点からみていくと、どう捉えればいいのか。最後に、光秀という存在の歴史的な意味についてうかがい、シリーズを締めくくる。(全5話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:07:08
収録日:2019/11/22
追加日:2020/01/14
≪全文≫

●「本能寺の変」の後、明智光秀が孤立した理由は


―― 少し意外なことですが、「本能寺の変」の後、あまり光秀の味方になってくれる人がいませんでした。

小和田 そうなのです。呼びかけたものの、細川藤孝は断る、筒井順慶は来ないというように、本来なら仲間と思っていた人たちから裏切られたということです。

―― 特に藤孝は息子の細川忠興と光秀の娘(明智玉、のちの細川ガラシャ)が結婚していたので、かなり深い関係ですよね。

小和田 そうです。明智光秀の与力(寄騎)といわれていた人たちが、なぜ光秀についてこなかったのか、これも謎なのです。一つは、おそらく「与力大名」といわれた人たちが心底光秀についていたのかというと、そこは疑問だということです。

 当時の宣教師、ルイス・フロイスなどの書いたものによると、光秀はあまりにも早くどんどん出世していったから、同僚たちからは少し浮いていたり、妬まれたりしていました。

 特に藤孝を例に取ると、もともとは足利義昭の近臣ですから、光秀が義昭に接近した頃は、もう完全に藤孝のほうが身分が上なのです。それが、織田信長に仕える頃になって逆転していくということがあるので、藤孝にしてみると、少し面白くないというところもあったのではないでしょうか。

―― なるほど。


●羽柴秀吉の情報戦に敗れ、小栗栖での最期を迎える


小和田 他の武将たちも、一つには羽柴秀吉の宣伝に乗せられたという側面があります。これは有名な文書が残っていて、明智光秀の与力大名の一人、中川清秀に宛てたものです。

 「本能寺で信長さまが光秀に襲われた。しかし、切り抜けて無事である。これから自分は光秀を討ちに行くので、一緒に行かないか」というふうに書いていて、「切り抜けて無事」というのは嘘です。ただ、秀吉だから、それだけの嘘がつけたのです。しかし、光秀はそういう芸当ができなかった。そういう違いがありますね。

―― たしかに、織田信長が生きているかどうかで、全然行動が変わってきますよね。

小和田 違いますね。おそらく中川清秀たちは、少しびびったことでしょう。光秀に加担して、もしも信長が生きていたら、即刻首を取られるぞ、と思ったはずです。

―― それで、最終的には敗れていくということになるのですね。非常に悲惨な最期を迎えるわけですが、落武者になって小栗栖まで来たところで、地域の農...
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