織田信長のシーレーン構想を明智光秀が理解していたら
信長軍団の戦い方(2)シーレーン構想と明智光秀の謀反
「ときは今」と発句を詠み、主君である織田信長を自刃に追いやった明智光秀。彼が謀反を起こした理由は何か。そして、なぜ、三日天下と言われるほどの早さで天下人の座を豊臣秀吉に奪われたのだろうか。歴史に「もし」はないが...
収録日:2019/11/06
追加日:2020/03/03
恐るべき「落ち武者狩り」…明智光秀と宇喜多秀家の明暗
戦国合戦の真実(7)落ち武者狩りと武士の命運
合戦での敵は相手だけではない。正規戦が終わる頃、戦場周辺では農民たちによる落ち武者狩りが始まるという。落ち武者狩りの一撃で命を落とす者もいれば、逆に落ち武者狩りに助けられ、生き長らえる者もいたりと、合戦後にも悲...
収録日:2019/11/06
追加日:2020/01/19
明智光秀という存在が与えた歴史的な意味とは
明智光秀の真実(5)「本能寺の変」後の光秀とその真価
「本能寺の変」の後、明智光秀は山崎の戦いに臨むが、孤立し敗れ、小栗栖の地で落武者狩りに遭う。この後、徳川家の儒教道徳支配が続くため、本能寺の変は極悪非道といわれるが、
戦国時代という観点からみていくと、どう捉え...
収録日:2019/11/22
追加日:2020/01/14
明智光秀はなぜ「本能寺の変」を起こしたか…謀反の諸説
明智光秀の真実(4)「本能寺の変」の謎
「本能寺の変」の謎には、いくつもの仮説がある。古くから囁かれるのが「怨恨説」と「天下取りの野望説」であり、一時は「黒幕説」が盛んだったが、直近では「四国問題説」が浮上している。複合的な要因の核として、「織田信長...
収録日:2019/11/22
追加日:2020/01/14
政治家としての明智光秀、知られざるその実像
明智光秀の真実(3)織田軍団での光秀の存在とその役割
織田家家臣として、羽柴秀吉に並ぶスピード出世を遂げた明智光秀だが、彼のどんな点を織田信長は買っていたのだろうか。また、同時代人には、光秀と秀吉の関係はどう映ったのか。さらに領主としての光秀の政策を通し、政治家と...
収録日:2019/11/22
追加日:2020/01/07
織田信長に高く評価された明智光秀の功績と凄さ
明智光秀の真実(2)織田信長との出会いと活躍
足利義昭の周旋役として、明智光秀は織田信長に接近する。当初は「両属」として義昭・信長の双方に仕えていた光秀だが、やがて室町幕府再興の望みは捨て、信長の家臣として実力を発揮することになる。そうして、金ヶ崎の退き口...
収録日:2019/11/22
追加日:2019/12/31
明智光秀はいつどこで生まれたのか~出生の謎に迫る
明智光秀の真実(1)謎につつまれた前半生
2020年のNHK大河ドラマは「麒麟がくる」だった。本能寺の変における「主殺し」として悪名を負ってきた明智光秀が主役とされ、歴史にも人物にも新たな注目が集まっている。新しい史料も続々と発見されるなか、その生涯と実像に迫...
収録日:2019/11/22
追加日:2019/12/31
明智光秀の家系図から読み解く人間関係
織田信長と足利義昭~検証・本能寺の変(4)信長の西国御出馬その2
系図は一族代々の系統を書き表すもので、封建社会では特に重んじられていた。では明智光秀の系図はどのようなものなのか。本能寺の変の真実に迫るべく、二つの図を参照しながら、光秀をめぐる人間関係、そして当時の織田家にお...
収録日:2018/10/29
追加日:2019/02/22
本能寺の変直前の派閥の「三層構造」
織田信長と足利義昭~検証・本能寺の変(8)結び~中世と近世の相克~
「事件史」や「人物史」として語られることが多かった本能寺の変だが、それでは本質的な見方にならないことをこれまで7回に分けて伝えてきた。これは織田政権の持っていた矛盾が臨界点に達して爆発したものである。織田政権の本...
収録日:2018/10/29
追加日:2019/03/22
本能寺の変「四国説」の重要人物、三好康長とは?
織田信長と足利義昭~検証・本能寺の変(5)四国説
本能寺の変の原因として、俄然浮上しているのが「四国説」である。織田信長の四国討伐を阻むために明智光秀が謀反を起こしたというのが「四国説」の骨子であるが、「石谷家文書」の新発見によりさらに脚光を浴びることになった...
収録日:2018/10/29
追加日:2019/03/01
実力主義の織田家中で巻き起こる重臣たちの激しい派閥抗争
織田信長と足利義昭~検証・本能寺の変(6)派閥抗争
これまで学校の社会科の授業では、「本能寺の変」を明智光秀の単独謀反と教えられてきたはずだ。しかし、新旧の勢力が入り乱れた中国・四国の情勢、その様子を瀬戸内海の真ん中からうかがう「鞆幕府」などの思惑を考えると、事...
収録日:2018/10/29
追加日:2019/03/08
新史料の発見で見直される「本能寺の変」
織田信長と足利義昭~検証・本能寺の変(1)はじめに
2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」は、明智光秀を主役にすることで話題を呼んでいる。新しい史料の発見、歴史研究の刷新等により、従来の信長=天才的イノベーター、光秀=私怨による謀反人という見方が払拭されつつあるのだ。...
収録日:2018/10/29
追加日:2019/02/01
安土と鞆の二重政権がしのぎを削った7年間
織田信長と足利義昭~検証・本能寺の変(2)画期としての天正八年
天正八(1580)年三月、勅命講和による大坂本願寺退去。五月、織田信長と毛利氏の間に講和の動き。八月、九州三大名の調停案に潜む信長西国出馬の予兆。この年の「安土幕府」の動向は目まぐるしく変化し、歴史にあらかじめ定め...
収録日:2018/10/29
追加日:2019/02/08
本能寺の変はなぜ6月2日未明だったか…偶然か、必然か
織田信長と足利義昭~検証・本能寺の変(7)派閥解体
天正十(1582)年、織田信長にとって天下統一の最終段階が来ていた。三男の信孝を三好康長の養子として讃岐国主とし、康長は阿波国主とする方針を記した朱印状の中で、信長は自ら淡路に出向くと書いている。六月四日に予定され...
収録日:2018/10/29
追加日:2019/03/15
本能寺の変は織田信長を討つだけのクーデターではなかった
天下人・織田信長の実像に迫る(9)本能寺の変・前編
“織田大名”という織田信長の重臣・明智光秀を初めて主役に置いた意外性で話題を呼んでいる2020年の大河ドラマ。従来、光秀の謀叛として蔑まれ憐れまれてきた本能寺の変は、両者の性格の違いが生んだ犯罪的行為だったのか。それ...
収録日:2020/03/17
追加日:2020/08/24
家臣からの諫言の逸話が物語る織田信長の実像
天下人・織田信長の実像に迫る(7)織田政権への忠義
織田信長というとワンマンの印象が強く、家臣たちは皆戦々恐々として、その命令に従っていたイメージがある。果たして、本当にそうだったのか。実際の信長は、時には家臣からの諫言にも耳を傾けていたようだ。信長が家臣たちに...
収録日:2020/03/17
追加日:2020/08/10
「起承転転」で学び続けることの意味とは
「50歳からの勉強法」を学ぶ(2)人生は「起承転転」
学びには終わりはなく、どんなもの、誰からでも学べるという童門冬二氏は、人生を「起承転転」と表現する。「転」が続くのは、死ぬ瞬間まで学び続け、完全燃焼させて生きていくことを意味する。しかし、50歳からの勉強に関して...
収録日:2020/01/09
追加日:2020/05/21
徳川家康の2つの功績…現代日本はいかに形づくられたか
徳川将軍と江戸幕府の軌跡~家康編(1)なぜ徳川家康は日本統一に成功したのか
徳川家康は日本という国を一つにまとめ、平和国家をつくりあげるという、現在の日本にもつながるような大きな役割を果たした。家康はなぜこのような偉業を達成できたのか。また、家康にあり、織田信長や豊臣秀吉になかったもの...
収録日:2019/12/26
追加日:2021/01/09
織田信長と豊臣秀吉の関係…信長が評価した二つの才覚とは
豊臣政権に学ぶ「リーダーと補佐役」の関係(1)話し上手な天下人
豊臣秀吉は日本史上、いわゆる庶民から天下人まで上り詰めた唯一の武将といっていいが、秀吉が活躍できた要因として補佐役の存在がある。戦国の時代を生き抜く上で、リーダーと補佐役はどのような関係を築いたのか、また、リー...
収録日:2020/11/10
追加日:2021/04/04
司馬遷を意識…“司馬遼太郎”の由来と海音寺潮五郎との縁
司馬遼太郎のビジョン~日本の姿とは?(3)司馬遼太郎ワールドと司馬遷
『国盗り物語』『関ケ原』『城塞』『竜馬がゆく』『燃えよ剣』など、司馬遼太郎は透徹した歴史家の目で読者にも俯瞰する視野を与える作品を次々と描き出していく。いわゆる英雄を一人ひとり描かれた物語を面白く読むうち、大き...
収録日:2023/03/16
追加日:2023/06/04