●大奥はプライベートな生活空間として設けられた空間
―― 皆様、こんにちは。本日は堀口茉純先生に、江戸時代の大奥についての講義をいただきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
堀口 よろしくお願いいたします。
―― 大奥といいますと、ドラマになったり、映画になったりというところで、一般にはやや淫靡でハーレム的な印象があるのではないでしょうか。綺麗どころの方がたくさんいらっしゃるようなものがあったり、男女逆転のものが描かれたり、いろいろな描かれ方をします。実際、歴史上の大奥というのはどういうものだったのかということで、ぜひお話をお聞きできればと思います。
堀口 はい。よろしくお願いいたします。
―― まず、なぜ大奥なのですか。
堀口 まず前提といたしまして、空間としての大奥のお話をしたいと思います。というのは、江戸時代以前から身分の高い方のお屋敷というのは、表と奥に分ける作りになっていたのです。
表というのは儀式や対面で使われるオフィシャルな公共の場、ハレの場というような位置づけなのですが、奥というのは、それ以外のプライベートの日常生活を送る場ということです。その奥を取り仕切るのが通常、主の妻である正室と呼ばれる人たちでした。この正室のことを、奥を取り仕切っている人なので、奥方様というふうに呼んだのです。江戸時代になり、江戸城に大規模に作られた奥が大奥ということです。
ちなみに、大奥の場合、一番上に立つのは将軍の正室である方ですが、この場合は奥方様ではなくて御台様(みだいさま)とか御台所様(みだいどころさま)というふうに呼びます。
御台所というのは、お食事を用意する台所に尊称の「御」がついた言葉ですので、やはりプライベートな日常生活にすごく密着したスペースで、そこの長に対する尊称だということになります。
―― 昔は、とくに女性は典型的にそうだと思いますが、名前をそのまま呼ぶのは失礼ということになりますよね。ですから、例えば御台所のように、その場所の名称で言ったりするのですね。
堀口 そうですね。直接お名前をお呼びするということは、もうありえないことです。
―― 「おい家康」などというのは絶対ないですよね。
堀口 絶対ないですよね。
―― 上様とか殿とか、それぞれの各大名にも言っていますし、その延長線として奥という言葉もあれば御台所という言葉もあるということですね。
堀口 そういうことです。
―― というところで、江戸の、いわゆる幕府の場合が大奥ということですが、表と奥ということでいえば、各藩にそれぞれお城があり、屋敷がありということになりますが、その藩の屋敷などでもそういうものがあるのですか。
堀口 はい。規模の大小はありますが、基本的には表と奥という作り方になっています。各藩に奥があったという感じです。
―― ですから、まず冒頭にハーレム的なイメージについてお話ししました。もちろんハーレムといっても、本当の歴史上のハーレムと、今一般的にハーレムだと言うときのハーレムはまた違うのでしょうが、そういうイメージというよりは、生活空間という方が、イメージとしては近いということなのでしょうか。
堀口 そうです。表に見せない場所という意味での奥です。
●大奥は本丸の大部分を占める重要な場所だった
―― ということで、その場所は実際どういう場所だったかというのをぜひ教えていただきたいです。
堀口 江戸城の本丸の絵図面を見てみたいと思うのですが、向かって左側が表の空間になります。こちらで儀式をするような、将軍と対面するスペースもあります。これが表になるわけなのですが、図面の向かって少し右側の辺りに、区切りはないのですが、中奥と呼ばれる空間があります。この中奥が、いわゆる将軍の執務室であったり、あとは1人で寝るときの寝室もあります。少し線ががっつりと入っておりまして、向かって右手側がいわゆる大奥と呼ばれる空間になります。
―― 全体が江戸城の本丸の部分を拡大した図でございますが、この屋敷の中でどれだけ奥が大きい場所だったかということがわかりますし、あと、先ほどのご説明で言えば、言ってみれば応接室であったりとか、書斎、執務室であったりというのが、この表の部分で、生活空間が大奥であったというイメージでよろしいわけですよね。
堀口 そうですね。女性たちが暮らし、奥向きといわれるプライベートの部分を司っていたのが、こちらの大奥という空間です。
―― はい。今、いわゆる皇居の公園がございますが、公園のどのあたりになるのですか。
皇居の東御苑の方に入っていきまして、大きなお庭になっています。大手門側から入っていって、天守台に向かっていく半分から向こう側...