●近年再評価される田沼意次、時代背景とその人物像に注目
養田です。本日もよろしくお願いいたします。今回は、江戸時代の転換期ともいえる田沼時代についてお話したいと思います。
この時代は、米作り中心の世から、各地で農産物・工産物などの今でいう名産品が生まれ、それに伴い流通、貨幣経済が発展する、そういった世の中に変化するタイミングでもありました。本日はこうした時代背景をも合わせて、田沼時代と田沼意次について見ていきます。
さて最初のページ、上段の図表ですが、左から享保の改革、田沼時代、寛政の改革の3つの時代を並べています。
昔の教科書では、享保の改革は目安箱を設置するなど庶民の声をよく聞いて良い政治だったが、米の価格コントロールには悩んだ。その後、田沼時代は賑やかで活気はあったけれど賄賂が横行する時代、そして寛政の改革で、武士らしい世の中に戻ったのだけれど、一方で住みにくい世の中になった、とあり、右側にあるような狂歌が紹介されていました。
近年、意次の評価は見直されていて、むしろ先見性の高い政治であったといわれることも多く、また歴史に詳しい方では、この3時代は大きく反対方向に舵が切られたわけでもなく、連続性があったことをご存じの方もいらっしゃると思います。
今回の講義はこうした近年の再評価も踏まえ、この時期の時代背景、例えば人口動態や田畑の面積の推移、あるいは生産・流通の発展の様子、はたまた金銀などの産出量低下と貨幣経済の必要性向上という、相反する話、また海外との交易の状況などを確認しながら、田沼時代、そして意次という人物そのもの、この2つについて見ていきたいと思います。
●将軍の信認厚かった田沼意次の生涯
さて、まずは年表でこの時代を大まかに見ていきます。上は徳川吉宗が将軍になった1716年、下は化政文化の時代がはじまる1804年までおおよそ100年間の流れを表しています。
左側に色で区分していますが、これを見て最初に思うのは、田沼時代は意外に長いな、ということです。享保の改革期は30年ほど続きましたが、田沼時代は長めの定義で30年強です。意次が権勢を誇った時期に限定しても15年ほどあります。それに対し寛政の改革期...