●30代半ばに執筆した『昭和16年夏の敗戦』
―― みなさま、こんにちは。本日は猪瀬直樹先生に『昭和16年夏の敗戦』、そして『昭和23年冬の暗号』、この2冊についてお話をうかがいたいと思います。では先生、どうぞよろしくお願いいたします。
猪瀬 よろしくお願いします。
―― 『昭和16年夏の敗戦』は、先生が作家としてご活動されてから相当早い時期にお書きになったものですね。
猪瀬 『天皇の影法師』という本と『昭和16年夏の敗戦』を35歳ぐらいのときに書いたんですね。30代の半ばだったその頃、日本の近代社会の成り立ちはどうなっていたのか、またそこからどういう未来が見えるのか、ということを思っていたので、『天皇の影法師』と『昭和16年夏の敗戦』を書いたのです。
『天皇の影法師』は、いずれ昭和天皇が亡くなるが、そのときに元号はどうやってつくるのか。その前に、元号をつくった人は誰だったのか。それを調べると、森鴎外という名前が出てくる。そうすると、それは文学の課題としてどうだったのか、ということを見てみる必要があったのですね。
一方、『昭和16年夏の敗戦』については、ちょうどこの昭和16年の夏に「総力戦研究所」ができて、何をやるかということになったときに、ここに(研究生として)集められた30歳から36歳の35人の人たちが模擬内閣をつくり、36歳の最年長者が総理大臣になって、大蔵大臣や陸軍大臣、商工大臣(現・経産大臣)、農水大臣などの役を各自が担当します。
「役」といっても演劇としてやるわけではなく、それぞれの出身官庁に行く。メンバーのなかには日本製鐵や日本郵船、同盟通信(現・共同通信)などの民間出身者もいるので、彼らは、自分たちの出身官庁や出身の会社に行って、そこにある資料を持ってくるのです。それを互いにつき合わせながら「もしアメリカと戦争をしたら、どうなるか」のシミュレーションをしたのです。
シミュレーションにおける一番のポイントは何か。ハワイのパールハーバー(攻撃)という作戦がありましたが、なぜそれをやるのかという元をたどると、アメリカが太平洋に入ってこないように、ということで、当時、作戦が組み立てられたわけです。
なぜそうなるかというと、インドネシアには石油がある。掘削して運べばいい。当時の日本は「ABCD包囲網(※ABCDはアメリカ、イギリス、中国、オランダの頭文字)」によって...