『大統領に告ぐ』の取材で、市丸利之助の長女の志村俊子氏が、市丸利之助の家庭での父の姿を語っている。子供たちの歌を聴くのが好きだった優しい父・市丸利之助は、その一方で「ルーズベルトに与ふる書」で毅然と大統領を説得し、糾弾もしている。だが、その文章に熱く込めた「当時の日本人の想い」は、けっして奇矯(ききょう)なものではなかった。ルーズベルト大統領の前任のフーバー大統領や、当時一流の日本専門家であったヘレン・ミアーズらの見方は、市丸と深く共通するものであった。さらに、日本占領期の連合国軍最高司令官であったマッカーサーがアメリカ上院軍事・外交合同委員会で語った証言も、市丸の主張ときわめて重なるものだったのである。市丸が「ルーズベルトに与ふる書」に込めた主張の歴史的な評価と現代的な意義とは?(全4話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
―― 今(第2話で)、三上(弘文)さんのお話をご紹介いただきましたけれども、私も読んでおりまして、本当にいくつも印象深いご家族の方のお話がありました。たとえば司令官でいらっしゃった市丸(利之助)さんのエピソードですと、娘さんがまだご存命でいらっしゃるということで。
門田 そうです。(長女の志村)俊子さんが、93歳。
―― 93歳でございますね。
門田 はい、93歳でね。
―― ご存命でいらっしゃって、当時の思い出をお話になっているのですが。まあ、本当に優しいお父さんで。お父さんが帰ってくるときは、嬉しくて、嬉しくてしかたがなかったと。
門田 もう子どもたちは嬉しくてしかたないわけですよ。
―― それで、お父さんは歌好きだったので、襖(ふすま)を舞台に見立てて、開け閉めして、娘さん3人で歌を歌ったりとか。
門田 歌ったりとねえ。
―― それを、ニコニコしながら市丸さんが聴いていらっしゃる。
門田 「ルーズベルトに与ふる書」の毅然とした文章で、大統領を説得し、糾弾もし、そして呼びかけもしてという、そういう人と、家族に見せていた実際のお父さんとしての姿がすごく乖離(かいり)があって。軍人と、優しいパパ、お父さんと。これがまったく違っていたので、私ももう本当に心温まりながら(エピソードを)聞かせてもらいました。
―― そのシーンを思い浮かべると、何かジーンとしてくるといいますか……。
門田 ええ、ええ。
―― もちろん、それは平和な時期の話ではあるので、そういうことだと思うのですけれども。そういう方々がいざ、そういう究極の場に臨んだときに、どう自分で考え、何を判断し、どう決断していくかという。
門田 市丸少将は、航空部門で、海軍では知らない者のいない有名な人なのですが、自分で墜落事故で瀕死の重傷も負っていますからね。その時に、本来ならそこでもう命はなかったのですが、幸いに命をとりとめるのです。しかし、もう骨もやられ、大腿骨から顔面から、複雑骨折という、ものすごい重傷の中で生き延びて。
そして、4年近い療養生活を送るのですが、そこで『再生録』というものを書き続ける。自分の思いや、その日あったこと、そして読んだ本の感想など、ずっと書いているわけです。それがやっぱりこの「ルーズベルトに与ふる書」に全部つながってきている。『再生録』の中に、元があるわけです。
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