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現代の「担当大臣」の是非は戦前の「無任所大臣」でわかる

近現代史に学ぶ、日本の成功・失敗の本質(1)「無任所大臣」が生まれた経緯

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家
情報・テキスト
第一次東條内閣
出典:Wikimedia Commons
コロナ禍において、日本では「新型コロナウイルス感染症対策担当大臣」「ワクチン接種担当大臣」などの特命担当大臣が設けられた。これらは果たして機能しているのか。この問題をひも解くために、日本政治における戦前の「無任所大臣」の歴史を見ていく。(全9話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:10:40
収録日:2021/05/31
追加日:2021/08/04
≪全文≫

●大臣制度ができた当初からあった「無任所大臣」


―― 皆さま、こんにちは。本日は片山杜秀先生に「近現代史に学ぶ、日本の成功・失敗の本質」というテーマでお話をいただきます。その中でも、特に東條英機内閣の失敗とその教訓、また現代の省庁再編ならびに担当大臣について、お話しいただく予定です。よろしくお願いいたします。

片山 よろしくお願いいたします。

―― このテーマについては、以前、雑談の中で片山先生に「現在のコロナ禍において、新型コロナウイルス感染症対策担当大臣やワクチン接種担当大臣が設けられましたが、これは機能しているのでしょうか」とお訊きしたら、「実はこれについては、東條(英機)内閣、ないしはその直前の近衛(文麿)第2次内閣くらいからの「無任所大臣」と比べると、その理想と実態が非常によく分かる」ということでした。それは大変興味深い視点なので、ぜひ講義をお願いしたいということで、ご依頼した形です。

片山 うまくお話しできればいいのですが。

―― 今挙げた担当大臣について、本来は厚生労働大臣がいるので、その方が就いたらいいのではないか、などいろいろな発想があると思います。しかし、やはり重要な問題だから、あえて担当大臣を設けたわけですね。

 歴史をさかのぼると、第2次世界大戦前の時期に、日本において新体制運動が起こり、国の仕組みに変えていこうとする中で、無任所大臣というものが出てきました。この無任所大臣登場の経緯は、どういったものだったのでしょうか。

片山 無任所大臣は一応、内閣の大臣制度ができた当初からありました。特定の役所には、その官庁を所管する大蔵大臣や外務大臣といったものがいます。また、そういった特定の役所の大臣ではないのだけれども、例えば枢密院議長などは閣僚と同等に扱い、(全員ではないけれども)時として大臣として数えていました。

 特定の官庁ではありませんが、いってみれば監察権を行使して、「総理大臣の行っていることはおかしいのではないか」などと物言いを付けたりするのが、枢密院の機能です。その枢密院は、行政の中にある機構で、内閣と別立てになっているものです。だから、その議長は、やはり大臣扱いしないと、行政の中での居場所が不安定となる。

 ということで、枢密院の議長は、無任所大臣の扱いで国務大臣の1人として数える。習慣ではありませんが、時折そうなっていることがあった、という歴史があります。そのようなことで「無任所大臣」は、明治憲法(大日本帝国憲法)体制の下で、いてもいいし、現にいることもある、というものだったのです。


●近衛内閣で採用された無任所大臣複数案


片山 けれども日中戦争から、行政、軍事、外交などにおいて、軍も内閣も行うことが次々と増えていきました(日本の場合、統帥権の独立で軍は行政に入ってはいませんが)。戦争の作戦などは「統帥権の独立」のため内閣のコントロールからは離れていますが、陸軍省、海軍省も内閣の中にある。国家総動員体制を築いていく中で、戦争となると行政機構の仕事がものすごく増えていくのです。

 その時に、(これは明治の最初からあった問題なのですが)縦割りの弊害が出てきます。内閣の中で、「この業務は外務省だから」「これは商工省だから」「これは内務省だから」「これは(内務省から分かれて日中戦争の途中でできる)厚生省だから」と。では、その役所をどのように連携させるか、戦争の下の総動員体制で国民に不満が溜まったときにどのようにサービスするかなど、いろいろなことを考えなくてはいけない。しかし、縦割りが邪魔だということが非常に目立ってしまってきた。

 行政は多くのことを要求されるため、縦割りの役所が有効なはずなのだけれども、連携しなければできないことについては、硬直化の弊害がはなはだしくなってきた。平時であればゆっくりと時間をかければ調整可能なことでも、日中戦争以降は間に合わない。このようなことでは、行政がどんどん遅くなっていってしまう。国民生活の不満も溜まる。工業生産体制や労働力、軍需生産にも支障が出る。戦争の成り行きにも問題が出てくる。

 そうすると、内閣の行政機能をもっと円滑に進めなくてはいけないとなります。そのためにどうするか。そのときに、第2次近衛内閣で採用されたのが、無任所大臣を正式な職制にして、内閣の中に複数、つねに置いておくことです。それは、枢密院議長などの「大臣という看板がないと困ることがあるから」といった消極的あるいは形式的な理由でもなく、無任所大臣に内閣の中で活躍させようという発想です。

 当時、省庁・官庁を所管している大臣は、行政長官(役人のトップ)になってしまっていました。つまり、下の役人の言っていること「はい、そうですか」と聞き、単に調整するといった仕事です。「...
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