●大臣制度ができた当初からあった「無任所大臣」
―― 皆さま、こんにちは。本日は片山杜秀先生に「近現代史に学ぶ、日本の成功・失敗の本質」というテーマでお話をいただきます。その中でも、特に東條英機内閣の失敗とその教訓、また現代の省庁再編ならびに担当大臣について、お話しいただく予定です。よろしくお願いいたします。
片山 よろしくお願いいたします。
―― このテーマについては、以前、雑談の中で片山先生に「現在のコロナ禍において、新型コロナウイルス感染症対策担当大臣やワクチン接種担当大臣が設けられましたが、これは機能しているのでしょうか」とお訊きしたら、「実はこれについては、東條(英機)内閣、ないしはその直前の近衛(文麿)第2次内閣くらいからの「無任所大臣」と比べると、その理想と実態が非常によく分かる」ということでした。それは大変興味深い視点なので、ぜひ講義をお願いしたいということで、ご依頼した形です。
片山 うまくお話しできればいいのですが。
―― 今挙げた担当大臣について、本来は厚生労働大臣がいるので、その方が就いたらいいのではないか、などいろいろな発想があると思います。しかし、やはり重要な問題だから、あえて担当大臣を設けたわけですね。
歴史をさかのぼると、第2次世界大戦前の時期に、日本において新体制運動が起こり、国の仕組みに変えていこうとする中で、無任所大臣というものが出てきました。この無任所大臣登場の経緯は、どういったものだったのでしょうか。
片山 無任所大臣は一応、内閣の大臣制度ができた当初からありました。特定の役所には、その官庁を所管する大蔵大臣や外務大臣といったものがいます。また、そういった特定の役所の大臣ではないのだけれども、例えば枢密院議長などは閣僚と同等に扱い、(全員ではないけれども)時として大臣として数えていました。
特定の官庁ではありませんが、いってみれば監察権を行使して、「総理大臣の行っていることはおかしいのではないか」などと物言いを付けたりするのが、枢密院の機能です。その枢密院は、行政の中にある機構で、内閣と別立てになっているものです。だから、その議長は、やはり大臣扱いしないと、行政の中での居場所が不安定となる。
ということで、枢密院の議長は、無任所大臣の扱いで国務大臣の1人として数える。習慣ではありませんが、時折そうな...