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実は挙国一致内閣は弱体であった

近現代史に学ぶ、日本の成功・失敗の本質(4)政党政治の強さと挙国一致の弱さ

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授
情報・テキスト
近衛文麿
出典:Wikimedia Commons
一般的な歴史認識では、政党政治が軍の圧力により潰れ、軍の独裁が始まったとあるが、実は政党政治はそのように弱いものではなく強力だった、と片山杜秀氏は言う。当時の政党政治、挙国一致内閣の実態、そして大政翼賛会の挫折に迫る。(全9話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:09:43
収録日:2021/05/31
追加日:2021/08/25
タグ:
≪全文≫

●政党内閣は強力な政治を発揮できた


―― 意思決定が曖昧化してくると、まさに省庁の縦割りの話にもなってくるのですが、政府もどこが強いのか分からず権力が分かれています。天皇陛下がそれをまとめて、ドイツやロシアの皇帝のように強く命令するかというと、そういうことではなく、あくまでも大臣が上げてきたものを認可するのがベースとなる。これで本当に総力戦、国家を挙げての戦いができるのか。こういったことで日中戦争以降、国家としてどのように運営していけばいいか分からない局面になってくるのですね。

片山 これは本当に難しい問題です。近代日本における一般的な歴史の解釈は、(教科書にもよく書いてありますが)政党内閣がデモクラティックなものとしてあり、これに軍部や右翼のテロリストなどが次々と圧力をかけていき、ついに5.15事件で犬養毅首相が白昼堂々殺されたことによって政党内閣が潰えて、その後は軍部独裁の流れになった、というものです。

 ですが、これは別の解釈が可能です。私がいつも自分の勉強のつもりで読んでいる当時の政治評論などによく書いてあることですが、むしろ政党内閣の時代はもっとも強力な政治が実現していた状況であったというのです。

 つまり、憲法的には保証されていないのだけれど、原敬以後の政党内閣の時代は(途中で例外として清浦奎吾の超然内閣などが挟まりますが)、基本的にずっと政党本位の内閣が作られ、政党の発言力が強い時代です。しかも衆議院の与党のリーダーが総理大臣になる。貴族院ではなく、国民に選ばれている衆議院の与党が内閣を組織することが「憲政の常道」といわれた時代になります。

 それまでは、日本は行政と立法が互いに、行政は立法に、立法は行政に屋根を伸ばさないように厳しい縦割りにして、超然内閣で、議会でどの政党が与党になろうが、与党の総裁を総理大臣にするなどということは憲法で保証しない。どの与党が強くなっても、それとは関係のない人が総理大臣になり、関係のない組閣をすることができる。これが原敬から以後は、背景にある国民の声を政府が受け取らないように運営していると見えることが、大日本帝国にとってマイナスであるという判断によって、正当に衆議院の与党に内閣を組閣させようということになっていったのです。

 これは、戦後の議院内閣制の先取りといえます。立法権で、衆議院で力を持っている政党のリーダーが行政の内閣の総理大臣になる。総理大臣にいくらリーダーシップがないといっても、組閣については総理大臣が強い発言権を持っているので、自分の政党から多く大臣を入れればいいわけです。もちろん政友会でも民政党でも派閥があり、言うことを聞かない人たちも大臣にせざるを得なかったり、陸軍大臣や海軍大臣は与党の政治家というわけにもいかなかったりもする。ですが、基本的には与党から多く選ぶことができる。

 とにかく与党から多く選ぶので、いわゆる明治国家の建て付けというものをかなり克服できる。別に法律や制度を変えたわけではなくて、西園寺公望などが与党の総裁を選んでくれる。その内閣の閣僚は、与党政治家の衆議院議員を多く入れる。そうすると、総理大臣のリーダーシップが弱いという制度的な問題は、その政党の与党の人脈によって克服することができる。

 そうして原敬以降の政党内閣においては、議会、つまり立法と、行政、つまり内閣の両方を与党が支配できる強力な体制ができていた。これが大日本帝国憲法における一番強力な体制だった。岩倉具視的、桂小五郎的なデザインによって細かく割れていた仕掛けを現実的に乗り越えて、犬養毅内閣までが最もうまくいっていた時代だったのです。


●大政翼賛会運動の試みと挫折


片山 ところがその後、軍が強くなり、内閣は強力でないものになった。よく「挙国一致内閣」といいますが、実は挙国一致内閣は弱体であったのです。

―― 政党内閣の頃に比べて弱いと。

片山 はい。なぜなら挙国一致内閣は、官僚、貴族院、衆議院の各政党、さらに財界代表がみな“挙国一致”だから、それまでのように政友会が中央を固めるといったことができないわけです。挙国一致内閣は、誰が総理大臣に指名されるにしても、利害関係が相異なさまざまな人から“挙国一致”で選びます。また、下の官僚の言いなりになりやすい素人が多く入りやすいということもありました。各々の利害関係を主張して、調整不能なほど違った人が入ってくる。統制経済を強めたいという人もいれば、財界代表として資本主義経済や、自由主義を唱える人、私有財産に一切触れるなという大臣も入ってくるわけです。このような人たちが、いつも一緒にいる。挙国一致内閣ほど弱体な内閣はありません。

 その結果、岡田(啓介)内閣や廣田(弘毅)内閣あたり、つまり2.26事件前後くらいから、近衛内...
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