●「アジアの劣位をいかに跳ね返すか」に関心があった近衛文麿
―― そこで政治のあり方として対比させたいのが、戦前の近衛文麿さんになります。
近衛文麿さんも非常に人気がある方でした。貴族であり、五摂家という由緒正しい血筋なのですが、しかし案外、言論は尖っています。第1次世界大戦の後には「英米本位の平和主義を排す」という一世を風靡した論文を発表しました。
当時、国際連盟をアメリカが提唱し、イギリスなどが乗って結成された。そして平和主義という空気がやってきて、日本人が「それは素晴らしい」と浮かれているのに対して、「そんなものに浮かれるものではない。アメリカやイギリスはそうしたほうが都合がいいから言っているのだ」と。
また軍国主義だけではなく、いわゆる経済帝国主義といいますか、そうしたことにも「けしからん」と疑問を呈しました。また、もちろん人種差別は問題で、それを訴えなければいけない。そういったことをかなり強烈に打ち出していました。
日本国民も「それはいいぞ」と喝采した面はあるとは思うのですが、なんとなく石原慎太郎的なあり方と重なる部分があるのではないか。そこはどう見ておられますか。
片山 石原慎太郎さんの場合、大衆の中の情念・情動みたいなものを刺激して人気を得ていく手法だと申しました。それを近衛文麿さんの時代と重ねて考えれば、国際政治の中で文明開化、あるいは戦後の世界の中で日本がどう生き延びていくかを考えたときには、近衛文麿さんや近衛文麿さんの父・篤麿さんの立場と、石原慎太郎さんの立場は似たものがあります。
近衛篤麿や近衛文麿という人――特に近衛文麿さんは父親の影響を受けたと思います――は、要するに文明開化で西洋と協調しながら福沢諭吉的なビジョンで「同じ文明国の1つとしてやっていきましょう」という中である安定を求めるのではなく、常にアジアが劣位に置かれていて、その抑圧をいかに跳ね返すかということに、どうしても関心がある。だから対抗的になる。
日本の中でも、日本は文明開化をしてどんどん西洋化し、西洋の価値観を身につけてアメリカ、イギリス、フランスなどとまったく対等の文明を持った国に育っていけば、自ずと世界の中で1つの国として存在できる。アジアやヨーロッパ、アメリカといったような地域、世界の中のエリアというものを強く意識しないで、1個の文明国として自然に存在できるようになる。このようなビジョンを持っている人たちがいました。
反対に、いや絶対そうではないと言う人たちは、岡倉天心でも誰でもいいのですが、やはりアジアにはアジアのものの考え方があって、どんなに文明が接近しても西洋とは仲良くなれない部分が絶対にあるという。ロシア的なものが正教的で、カトリックやプロテスタントとは絶対に仲良くなれないという情念がロシアを常に支配しているのと同じです。岡倉天心の東洋やアジアについての著作を見れば、大川周明や北一輝に至るもののエッセンスが示されています。年がたてばたつほど、私も年を取れば取るほど、それを感じます。
そのような「世界が相和せる」という見方と「相和せえない」という見方は、特に西洋先進国とは別の場所で起きました。それはドイツだってやや遅れていたし、ロシアはもっと遅れていた。日本はまた同じ程度かもっと遅れていたということになります。少なくとも西洋文明化という点では。
遅れていたほうが常に劣位にある。いくら頑張っても、例えば明治時代の日本であれば、イギリスやフランス、あるいはロシアには勝てない。アメリカが大国化するにしたがってアメリカには勝てない、ということになってきます。
●大正デモクラシー期の国際協調派への強烈な異議
片山 第1次世界大戦の段階では、英米が戦勝国の側にあり、世界の基調にありました。英米が世界のリーダーで、日本も英米と協調していけばいいのだ、というのが大正デモクラシー期の国際協調派の考え方になります。
英米の民主主義や平和主義、自由主義こそが人類の正しいイデオロギーであり、それ以前の特定な階級や皇帝などが力を持つようなドイツ帝国、ハプスブルク帝国、ロシア帝国の政治の仕方は旧時代のものです。第1次世界大戦でオスマン帝国も含めて滅びたではありませんか。文明の価値観が正しいほうが、やはり勝利したでしょう――。こういったことで、大正時代の日本人は大正デモクラシーというお題目を素直に信じることになったのです。
それについて近衛文麿さんの論法によれば、こうです。アメリカ、イギリス、フランスのような国がなぜ威張っているか。アメリカではヨーロッパから逃げていった人たちがあれだけ大きな大陸を自由に取って勝手放題をやり、膨大な国土と資源を手に入れて自給自足...