●お互いに影響し合っていた三島由紀夫と石原慎太郎
―― 今、片山先生から三島由紀夫さんについての言及がありました。お互い対談なども数多く行っていますし、三島由紀夫さんも石原慎太郎さんのことを買っていたり、批判したりと、いろいろな時期がありました。2人の文学を比べて、片山先生はどう分析されますか。
片山 三島由紀夫さんのたくさんの作品と、石原慎太郎さんのたくさんの作品を比べると論点はいくらでも出てくるし、当然ながら簡単に語り尽くせるはずもありません。しかも、お互いかなり意識し合っていた面もある。だから単に、「同じ時代や少しずれた時代に、こういう作品を書いて、そのモティーフはこういう点が似ていて、全く違うのだ」ということを指摘するだけでは足りません。あの二人には相互影響があるのです。「三島さんがこういうものを書いているから、僕はこういうものを書いてみようかな」とか「石原がこんなものを書いているのなら、僕はこうだ」といった具合に。
政治においても、「石原慎太郎が自民党だったら、僕は楯の会だ」となります。また「石原慎太郎が映画界で頑張っているのなら、僕(三島)も映画の主演をしてしまおう」ともなる。三島由紀夫さんは映画にもとても興味を持つけれど、石原慎太郎さんのほうが先行していますから。
スポーツもそうです。三島由紀夫さんが身体を鍛えたのも、石原慎太郎さんが「太陽族」で、サッカーなどで鍛えているからでしょう。石原慎太郎さんが小説にボクシングのイメージをやたらと出して、「男がたくましく殴り合う、あの快感こそが男性的なものの最も赤裸々な表現だ」とすると、三島由紀夫さんが「僕はボディビルダーだ」となってしまうわけです。石原慎太郎の「太陽族」イメージが流行ってから、すぐ後に三島由紀夫さんはボディビルを始めているのですが、これは偶然ではないと思います。
石原慎太郎さんも三島由紀夫さんも、その相関については直接的には言及していないと思います。けれども年代記を合わせれば、石原慎太郎さんがスポーティブなイメージでカッコいいタレント的な容貌と、小説も書くという合わせ技でマスメディアの寵児になったのに対し、当時の三島由紀夫さんはすでに大有名作家になっていたし、若くして日本を代表する作家になりつつあったけれども、肉体的にはいかにもひ弱なイメージで、まさに旧制高校から東大の文芸部的なノリの人だった(本当は学習院大学だけれども)。それが三島由紀夫さんで、まさに虚弱だったのです。
三島由紀夫さんが『潮騒』という小説を書いて大ヒットしたのは昭和29年ごろで、映画にもなりました。その『潮騒』を書くために、伊勢に取材に行ったのです。それは実際に、伊勢での漁師の生活、まだ電気も十分に行き届かないような暮らしをしている漁村の中での日本人の昔ながらの生活の世界に憧れたのです。やや日本浪漫派的な、保田與重郎が王朝時代の大和盆地の農民に憧れたことと似ています。
日本人の、まだ近代文明に汚れていないものを取材するために、「日本のどこかにそのような場所はないか」と役人などに聞いたら、「伊勢にある」と言うから、小説のネタにしようと思って取材で長期滞在した。その時に取材に来られた伊勢の小島の漁村の人たちは、「この人は結核か何かで、栄養状態も悪くて病み上がりで、地方の風がよく通って日の当たる場所で療養しなさいと言われたから来た人だ」と思ったほど、虚弱な人にしか見えなかった。これが三島由紀夫さんです。
その三島由紀夫さんが、石原慎太郎さんが流行り始めたときに、これからの作家はかくあるべしと思い、ボディビルを始めてしまうのです。
そういったところに、二人がお互いを意識したであろうことが見て取れる。単に、三島由紀夫さんのほうが先輩で、石原慎太郎さんが後輩で、石原慎太郎さんが素直に「三島さん、よろしく」と言って後を追い、尊敬していたというのではありません。
むしろ、新人の石原慎太郎さんに、やたら三島由紀夫さんは嫉妬していたと思います。「こんなはずではない」とボディビルで身体を鍛えて、週刊誌などで写真を撮ったときも「石原慎太郎よりも僕のほうが、筋肉があるように見せたい」といったように。これが、その後の三島由紀夫さんが切腹に行くまでの1つの人生のモティーフになっていたのだと思います。
●『潮騒』で表現された世界と古代への憧憬
片山 やや話が大事なことから逸れてしまいましたが、その『潮騒』という作品は三島由紀夫さんの若い頃の代表作ですが、『潮騒』で表現された世界は、「ダフニスとクロエ」という古代ギリシア文学のイメージを日本へ当てはめた形です。つまり、地中海の陽光に恵まれた古代的な世界の中で、ダフニスとクロエという若者と若い娘が恋に落ちて、邪魔もされるけれど成...