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岩倉具視の明治維新は第2の徳川幕府を作り出さないこと

近現代史に学ぶ、日本の成功・失敗の本質(3)天皇を中心とした近代国家へ

片山杜秀
慶應義塾大学法学部教授/音楽評論家
情報・テキスト
岩倉具視
出典:Wikimedia Commons
明治政府、特に岩倉具視が目指したのは、天皇中心の近代的な中央集権国家だった。そして、二度と天皇以外に実権を握られないように、権力が集中しないシステムをつくり上げたのだが、それが結果的に国を動かす際には矛盾をかかえることになってしまった。(全9話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:13:08
収録日:2021/05/31
追加日:2021/08/18
タグ:
≪全文≫

●明治政府が目指した近代的な中央集権国家は天皇が中心


片山 明治政府、特に岩倉具視は、今までの日本の歴史の轍を踏まないことを強く主張していました。現代人が考えると不思議に思うかもしれませんが、明治維新は日本を近代国家として欧米に対抗、あるいは対等になることを目指していた。別に戦争をするのではなく、とにかく対等の文明国だということを欧米に認めさせて、列強と肩を並べていく近代的な国家にしようとしたのです。

 それと同時に、天皇中心の王政復古の国を目指したということにポイントがあります。王政復古だからこそ、幕藩体制や摂関政治を超えた中央集権が日本の歴史では可能だということです。日本では歴史的に、公地公民制、律令体制でしか中央集権の実を上げた時代がなく、その時は天皇の親政という体裁を取っていました。そのため、日本の歴史の中で近代的な中央集権国家をつくろうと思えば天皇が中心になるという理屈があったのです。

 歴史を踏まえて考えて、そしてやはり今度こそ王政復古だ、と。当然、明治維新の時の公家の考え方として、武家武士階級がいなくなれば武家はいなくなるのですが)的なものを警戒していました。

 天皇がいたのに、なぜか平清盛、足利尊氏や義満、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といったものが出てきて、実質的な政権をみな持っていってしまう。もちろん古くは藤原氏も持っていってしまったし、同じ皇族の中でも上皇が持っていってしまっていた時代も長くありました。とにかく天皇中心に、中央集権的な朝廷で政治がまとまることは日本の歴史の中ではとても少なくて、隙があるとすぐ持っていかれてしまう。今度こそ持っていかれたくないというのが、岩倉具視の明治維新です。つまり、第2の徳川幕府を決して作り出さないようにするということです。

―― 確かに幕府を倒して明治維新をしたわけですから、再び権力の主になってしまうような存在が国家の中にできてはいけないという思想ですね。

片山 そうです。それをものすごく強く意識した。もちろん三権が分立し、特定の箇所に権力が集中しないことが、民主的なチェックの効く近代国家の有りようだという思想も入っています。それ以上に、天皇の下で征夷大将軍や鎌倉幕府の執権といった、いかにも全権を握れそうなポジションが出てこないように、下の縦を割って、みなが天皇の下に来るようにした。天皇の下でどこかが大きくなっても、割れていることが大事だと考えたのです。


●天皇以外のどの機関も権力を持つことができない


片山 そのため、普通は内閣だけでもいいのだけれども、行政の中に枢密院を置く。枢密院では内閣で決めたことについて、議会よりも前に文句を付けることができる。だからこそ、ポツダム宣言受諾の時の御前会議に平沼騏一郎枢密院議長がいたわけです。枢密院が「ヨシ」と言わなければポツダム宣言の受諾もできないというのが鈴木貫太郎内閣です。枢密院議長を直接呼んでしまえばいいということで、御前会議にいたわけです。

 実質的には枢密院の機能は歴史的には弱まっていきましたが、枢密院のチェックを受けなければ内閣は機能しないという建て付けは、1945年まで維持されました。だから、行政の中に枢密院と内閣という対等のものがある。議会も一院制ではなく二院制で、貴族院と衆議院がある。貴族院と衆議院は、議会の性質からいっても、あまり仲のいいものではない。西洋の上院と下院でもそういうものですが、そりが合わない。

 この中で、どちらかに優越権を認めるという体制を作らないようにする。つまり貴族院と衆議院がお互いの法案を潰し合うことができる、わざと潰し合えるといった具合に、どちらかに力を持たせないようにする。

 議院内閣制でもありません。衆議院で与党になった党から総理大臣が出るのは、政党内閣の時代はそのほうが日本は安定するということで、元老などが「とりあえず与党の党首を総理大臣にしたらどうですか」と内大臣や天皇に囁きかけることで任命されていたわけです。政党内閣の時代であれば与党の総裁が必ず首相になるものだ、とは決まってはいません。

―― 一種、慣例的に行っていたわけですね。

片山 そうです。慣例的なものです。結局そのように、議会に関しても衆議院の与党が内閣を作るわけでもありません。貴族院もあるからです。貴族院と衆議院はまた、政党もおおよそ別立てになっている。つまり、立法の府も二分され、行政の府も二分されている。裁判所は二分されると困るので、一応1つのシステムになっていますが、ただ大審院に行くまでいくつも段階があるので、司法権力で偉くなったからといって国政が独占できるようにはなっていない。

 極めつけは、陸軍と海軍の物理的な軍事力を行使できるのは天皇であることです。行政、議会、司法の三権のどれ...
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