●明治政府が目指した近代的な中央集権国家は天皇が中心
片山 明治政府、特に岩倉具視は、今までの日本の歴史の轍を踏まないことを強く主張していました。現代人が考えると不思議に思うかもしれませんが、明治維新は日本を近代国家として欧米に対抗、あるいは対等になることを目指していた。別に戦争をするのではなく、とにかく対等の文明国だということを欧米に認めさせて、列強と肩を並べていく近代的な国家にしようとしたのです。
それと同時に、天皇中心の王政復古の国を目指したということにポイントがあります。王政復古だからこそ、幕藩体制や摂関政治を超えた中央集権が日本の歴史では可能だということです。日本では歴史的に、公地公民制、律令体制でしか中央集権の実を上げた時代がなく、その時は天皇の親政という体裁を取っていました。そのため、日本の歴史の中で近代的な中央集権国家をつくろうと思えば天皇が中心になるという理屈があったのです。
歴史を踏まえて考えて、そしてやはり今度こそ王政復古だ、と。当然、明治維新の時の公家の考え方として、武家(武士階級がいなくなれば武家はいなくなるのですが)的なものを警戒していました。
天皇がいたのに、なぜか平清盛、足利尊氏や義満、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といったものが出てきて、実質的な政権をみな持っていってしまう。もちろん古くは藤原氏も持っていってしまったし、同じ皇族の中でも上皇が持っていってしまっていた時代も長くありました。とにかく天皇中心に、中央集権的な朝廷で政治がまとまることは日本の歴史の中ではとても少なくて、隙があるとすぐ持っていかれてしまう。今度こそ持っていかれたくないというのが、岩倉具視の明治維新です。つまり、第2の徳川幕府を決して作り出さないようにするということです。
―― 確かに幕府を倒して明治維新をしたわけですから、再び権力の主になってしまうような存在が国家の中にできてはいけないという思想ですね。
片山 そうです。それをものすごく強く意識した。もちろん三権が分立し、特定の箇所に権力が集中しないことが、民主的なチェックの効く近代国家の有りようだという思想も入っています。それ以上に、天皇の下で征夷大将軍や鎌倉幕府の執権といった、いかにも全権を握れそうなポジションが出てこないように、下の縦を割って、みなが天皇の下に来るようにした。天皇の...