日本の防災の大きな課題は、国民に命を守る主体性が欠落しているということだろうと思います。しかし、日本の社会はどうしてこれだけ命を守ることに対する主体性をなくしてしまったのでしょうか。そして、その一方で、なぜ行政に対する依存度を高めていってしまったのでしょうか。
ここを正さないと、日本の防災は改善されないでしょう。そこで、行政と国民の関係のもとでこれだけ依存度を高めていってしまった日本の防災、また個人ベースでいうならば、なぜ“逃げない”という構造に陥ってしまったのかについて読み解いてみたいと思います。
●災害対策基本法以後、インフラが整備され災害の被害は減った
日本の防災の基本は災害対策基本法に規定されています。1959(昭和34)年の伊勢湾台風を契機に、その2年後の1961(昭和36)年に制定された法律が災害対策基本法です。
この直接的な契機となった伊勢湾台風ですが、名古屋を中心とした地域で高潮災害が中心となり、5,000人を超す方が亡くなるという大災害でした。1959年ですから、まさにこれから日本は高度経済成長、名実ともに先進国入りしようとしている、そのさなかに起こったのがこの伊勢湾台風の被害でした。
この台風は、日本の防災をこのままでいいのかという大きな問題を投げ掛け、そして、国家の災害対策における基本法の制定に至るという、非常に大きなインパクトを与えたわけです。実はこの伊勢湾台風よりも前の日本の災害というのは、毎年のように、少なからずとも数千人規模で人が亡くなっていました。そうした中、この台風をもって、さすがにこれから先進国入りしようとするときにこれではいけないということで、真摯な反省が行われたということなのです。
人口およそ1億人のうち、毎年、数千人が亡くなるという社会はとても先進国の体を成しているとはいえません。その原因はどこにあるのか。それは災害大国にして、そのまま被害を受けるような社会構造、つまり決定的なインフラ不足にあったのです。これが毎年のように数千人オーダー(程度)の犠牲者を出すという社会構造になっていたということで、伊勢湾台風を契機に、災害対策基本法が制定され、その法体系をもとにインフラ整備が組まれていったといってもいいと思います。