●農業の生産性向上と名産品の台頭
さて、次に耕作地の単位当りの収穫、あるいは一人当たりの生産量の推移、すなわち農業の生産性について見ていきます。
青い線は実収石高、緑の線は実収石高を耕作面積で割ったものですが、これらは双方とも右肩上がりで上昇しています。つまり前のページ(資料)と合わせてみると1750年あたりから耕作面積は頭打ちになるも、単位当たりの収穫高は上がっており、生産性が向上していることが見てとれます。
この生産性向上は単位当たりのコメの収穫高が上がったということもありますが、価値の高い他の農産物、(例えば)各地で名産品と呼ばれるようになったものが生産されるようになったという背景もあると思われます。例えば大豆、菜種、綿などであり、味噌醤油、油、織物などの原料になるものです。
赤い線はこれを人口で割ったものなので、一人当たり生産量となります。1650~1700年にかけて一人当たり生産量が落ち込んでいるように見えますが、人口、実収石高ともに推計値に基づくものなので、これほどまでに一人当たり収穫高が落ちたのか定かではありません。
ただおそらく、大きな流れの中では、人口増加に耕作面積の拡大が追い付かない時期があり、一時的に生産性が停滞するような状況があったのだろうと思います。そしてその後、人口は頭打ちになるも生産性が上がることで一人当たり収穫量が拡大し、幕末にかけては再び人口も増加していった、ということはいえるかと思います。
●大坂中心の物流網から地方経済圏へ
さて続いてのページ(資料)では、江戸中期にかけての農工産物の生産拠点と物流網の変化について見ていきます。
図表左側、江戸初期から中期にかけては大坂に中央市場があり、そこに全国の物資が集まる物流網が成り立っていました。江戸は人口が拡大したとはいえ大坂に集まったものを取り寄せる消費市場でした。
その後、上段中ほどに例として挙げたように、農工産物を各地で生産するようになると、これを地方同士で流通させるようなネットワークも出てきます。地方の中核都市が発展してきたということで、それが右側、江戸中期以降の物流網の姿です。
また、江戸の周辺、今の埼玉、千葉あたりでも消費地江戸に生産品を届ける経済圏が...