●江戸経済の変化と通貨問題
さて、こうした時代背景を見てまいりましたが、これらをおさらいしつつ、田沼意次の政策を見ていきたいと思います。
まず時代背景ですが、これまで見たように、江戸開府以来、人口、耕作地は拡大していましたが、その後耕作地、人口ともに頭打ちになり、生産性向上が鍵になってきます。かかる中で、米以外の農産物・工産物の生産が拡大し、今でいう各地の名産品が誕生し始めます。また、地方でも中核都市が生まれる中、地方同士の流通がはじまり大坂一極集中に変化が生じます。
こうした中、意次自身も美濃郡上一揆の解決に参加し、年貢中心の財政基盤の危うさを感じ取るような経験もしていました。また、江戸周辺に農産物生産拠点が生まれ、すでに大都市になっていた江戸とその周辺は、単なる消費地から、生産、流通、消費など川上から川下までの機能を備える一大経済圏になる様子も見て参りました。
そして、このような経済発展に対し、金銀産出量の低下や銀の海外流出などにより貨幣の流通量が生産・物流量に追いつかない状況が生まれる中、リフレ政策、デフレ政策が繰り返されてしまうのですが、田沼時代の前あたりからようやく、経済の発展に即した通貨供給が必要との認識が共有され始めます。また、江戸の商業発展により、大坂・江戸で異なっていた通貨の基準を統一する必要性も出てきました。
●田沼意次の5大政策を振り返る
こうした時代背景の中、意次はどのような政策を行ったのでしょうか。
真ん中囲みで主に5つの政策について、現代風の表現に置き換えて述べていますが、実はこれらの共通点は、幕府税収をいかに増やすかという点です。そういう観点から見て頂きたいと思います。
まず上から産業政策です。これは年貢以外の税収を確保すべく行ったといってもいいと思いますが、これまでも見たように、米以外の農産物、工産物の生産を支援し、商流・物流を再整備、そして物流の量、価格を調査するなど、モノの流れを把握し、どのくらいの上納金を確保できるのか、計算ができるようにしたのだと思われます。
次は通貨制度改革です。先ほど申し上げたように、生産・物流の増加に沿った通貨供給が大切なことは認識され始めていましたが、意次が取り組んだのは、さらに進んで東西の通貨統合です。発展した江戸...