●地方経済の発展と化政文化
さて次は、政策というより、田沼時代の文化・教育の様子です。
冒頭の年表でも申し上げましたが、化政文化(期)の文化人とされる人々のうち、このページにあるような人々は、その前の時代である田沼時代の人々です。出版業のパイオニア蔦屋重三郎なども、まさにこの時代に生まれ活躍し、田沼意次失脚後は寛政の改革による風紀取り締まりで処分を受けてしまいます。
このような文化の盛り上がりの背景は、単に商業・貨幣経済が発展したというだけでなく、大都市以外に江戸周辺や地方各地で経済が発展したことも影響していることでしょう。
前半でこの時代人口は横ばいというグラフがありましたが、実は、大都市はやや人口減、代わりに地方の中核都市では人口が増加していた、という調査結果もあります。
そういえば、「お陰参り」という伊勢神宮への旅行が全国で流行するのもこの頃です。当然全国の地方各地で経済が発展し、所得も向上していたという背景があってのことでしょう。こうした流行が、お土産品や記念品としての浮世絵、ガイドブックの発行などメディア系産業の発展につながったことも想像されます。
また、国学が流行ったのもこの時代の特徴です。国学は朝廷に力があった頃を懐かしむ復古思想を含んでおり、幕府にとっては好ましい文学ではなかったはずですが、おそらく意次の生い立ち、元の身分なども絡み、従来の幕府権威にとらわれない雰囲気が醸成されていたように思います。もっともその後、寛政異学の禁で下火になり、朱子学全盛となります。
●「享保の改革」以降の政策を比較する
さて、こうして見てまいりましたが最後に、冒頭でも申し上げた享保の改革から続く3時代の連続性と相違点、転換点について纏めてみましょう。
左側、上から財政再建、農業・産業政策、商業・物流政策、通貨政策などと続きますが、まず大きな連続性という意味では、この3時代はいずれも財政再建に取り組んでいたということです。
享保の改革で年貢強化したことに始まり、田沼時代の前半も緊縮財政は続き、倹約が推奨されています。予算制度のような考えが導入されたのもこの頃といわれています。もっとも田沼時代の後半で、年貢以外の税収確保に切り替えていった...