●おとな向け書籍が流行したタイミングで出版に参入した
―― さて、田沼時代ということで、その社会的な背景をお話しいただきましたけれども、いよいよ、では蔦重(蔦屋重三郎)がどんな仕事をしたのかというところで、具体的にお話をいただいていきたいと思います。
堀口 はい。
―― 膨大な仕事をしてきたのだというお話が前半にございましたけれども、今回、お聞きするのは狂歌ですとか、版本です。ここでどんなことをしたのかというお話をお聞きできればと思います。
堀口 はい、そうですね。田沼時代というのは商品経済が活発化して、さまざまな文化が花開いた時代なわけなのですが、出版業界が本当に盛り上がった時代です。なので、おそらく蔦重も「一旗揚げるなら出版業界だ!」ということで、飛び込んだのだと思うのです。
―― なるほど。
堀口 といいますのも、おとな向けのおもしろい出版物が大流行し始めた時代だったのです。
例えば、平賀源内は滑稽本の最初になる作品、当時、おなら芸で一世を風靡した霧降花咲男(きりふりはなさきおとこ)という大道芸人さんがいたのですが、その人の芸を『放屁論』という論文風にまとめて出版してみたりしました。それから鱗形屋からは『金々先生栄花夢』というような、おとな向けのおもしろい本がたくさん出ました。黄表紙とかいわれる本も出た時代です。こういった本が大きく括ると、版本と呼ばれるものなのです。
―― ちょうど先ほど(第4話で)、鈴木春信の錦絵の話もありましたけれども、蔦重は新しいジャンルをつくるときも、その乗ってきた波をより高みに持っていったというイメージになるのでしょうか。
堀口 そうです。時代の波に本当にうまく乗りました。
●消費者心理を刺激する蔦屋の「版本」づくり
堀口 この「版本」というのは「版木で刷った本」という意味です。蔦重というと、写楽とか歌麿みたいな錦絵の一枚絵のイメージが強いと思うのですけれども、実は田沼時代は版本をメインにつくっていたのです。
―― なるほど。
堀口 こちらは安永5年(1776年)ですので、蔦重が20代半ばですから、吉原遊郭に店があるころです。そのころの蔦屋の出版物は地の利を最大限に生かしているな、ということがわかりますのが、この『青楼美人合姿鏡(せいろうびじんあわせすがたかがみ)』...