当時の出版界の花形である錦絵に参入した蔦屋重三郎は、錦絵のひとつである「大首絵」の製作にも着手。すると蔦重は、当時無名の写楽を起用し、デフォルメを効かせた大首絵で世間を驚かせた。出版界を上り詰めた蔦重は直後に病に倒れるが、彼が最期まで貫いた「メディア王」らしい振る舞いとは、いったいどんなものだったのだろうか。(全8話中第8話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
≪全文≫
●寛政の改革をかいくぐった蔦重の奇策
堀口 そうとう手応えを感じたようで、蔦重は歌麿に、今度はバストアップからほぼ顔面中心の美人画を描かせました。これがいわゆる「大首絵」です。
―― なるほど。
堀口 ただ、寛政の改革で、美人画の一枚絵に個人の名前を書き込むことが禁止されたということがあります。
―― なぜ禁止なのですか?
堀口 これは、その人のところに人が集まるというのは、「儲かろうとしているだろう。けしからん!」ということです。娯楽を規制するという意味で、風俗を乱すとか、そういう意味で禁止されてしまうのです。
でも、諦めないということで、蔦重が歌麿に描かせたのは、名前の代わりに判じ絵を入れるようになりました。川上さん、左上のほうに枠があります。これはコマ絵というのですけれども、コマ絵の中をよく見ると、何か描いてあるのですよね。
―― これですよね。
堀口 はい。
―― しかし、だいたいパッと見で菜っ葉が飛んでいるのがおかしいですよね。
堀口 そうなのです。
―― なんで菜っ葉が飛んでいるのだ、ということから始まってきますけれど。
堀口 そういうことです。菜っ葉が2つあって、なにか弓矢のようなものがあって、海が描かれています。
―― 景色がそういうところなのですよね。
堀口 はい。海の沖があって、田んぼが描かれているということで、全部を組み合わせると、「菜が二把 矢 沖 田」ということで、「難波屋 おきた」という、巷で人気の茶屋娘であるということを表わしているということなのです。
―― これはでも、典型的に「規制が逆効果」というやつですよね。
堀口 むしろこだわってしまう。
―― こちらのほうが読めたら嬉しくなってしまうということになりそうですよね。
堀口 そうなのです。この判じ物を蔦屋が始めるのは、厳密にいうと、寛政の改革の本当に終末期で、ほぼ終わっているので、やる必要はなかったのではないかといわれているのですけれど、おそらく楽しくなってしまったのだと思います。
―― なるほど。いや、そういうことでしょうね。普通に字で書かれるよりも、「これ、誰だい?」というところから入ったほうがおもしろいですからね。
堀口 そうなのです。グッと、そこを注目することにもなりますからね。
―― はい。
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