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喜多川歌麿の美人画が革新的だったわけ…蔦重の戦略とは

「江戸のメディア王」蔦屋重三郎の生涯(7)逆境を逆手にとった錦絵

堀口茉純
歴史作家/江戸風俗研究家
概要・テキスト
蔦屋重三郎(箱入娘面屋人魚 3巻)
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9892706
さまざまな出版物のなかでも当時の花形だったのが、多色刷りの浮世絵である錦絵だ。さらなる躍進を目論む蔦重も、当然その錦絵に目をつけていたが、その参入の契機となったのは出版規制が厳しくなった松平定信時代だった。逆境と思われる状況で、むしろ当時の花形「錦絵」の出版に打って出た蔦重の立ち回りを追う。(全8話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:09:24
収録日:2024/11/06
追加日:2025/02/20
≪全文≫

●「江戸のメディア王」になるべく錦絵に目をつけた


―― では、続きまして、前回が狂歌と版本ということでしたけれども、蔦屋重三郎というと浮世絵のイメージを持つ方も多いと思いますが、今回、その浮世絵が中心ですね。

堀口 そうなのです。浮世絵の中でも、多色刷り、フルカラーの錦絵ということなのです。

―― 錦絵ですね。

堀口 極彩色の浮世絵ということです。

 最初、鈴木春信という人がつくりましたので、春信の絵のことを最初は錦絵と言っていたのですが、みんなが真似をしたので、多色刷りの浮世絵のことを錦絵と呼ぶようになりました。

 さまざまな出版物の中でも、錦絵というのは花形というか、現代だと映画みたいな感じで、小説があって、テレビがあって、ネットがあって、いろいろなエンターテイメントがありますけれども、映画化をして大ヒットするというのが、大衆に認められた一つの証しになるというようなところで、ステイタスシンボル的な意味があったのが、この錦絵なのです。やはり蔦重も、名実共に江戸のメディア王になるためには、錦絵で大成功する必要があったわけで、参入のキッカケを狙っていたわけですね。あることをキッカケに、ついに勝負に出たということなのです。そのキッカケというのが寛政の改革です。

―― なぜ寛政の改革がキッカケになるかというところでございます。

堀口 そうです。


●緊縮的な政策がとられた松平定信時代に詠まれた狂歌


堀口 大胆な経済政策が取られた田沼時代が終わりまして、代わりに老中になった松平定信が主導し、天明7年(1787年)から寛政5年まで、6年間にわたって断行されたのが、この寛政の改革です。ひと言でいえば、田沼時代の否定ということになるのですが、それまでと打って変わった緊縮財政の政策が取られました。ただ、厳密にいうと、田沼時代の末期は天災が続きましたから、もう緊縮財政政策が取られるようにはなっていたのですけれども、さらに松平定信という人は、この質素倹約を推し進めていって、庶民の娯楽にも規制が入るようになって、出版統制も厳しくなっていったという時代なのです。

 前の時代が解放的だっただけに、人びとはそういう息苦しさを感じていたらしくて、こんな狂歌もつくられました。「白河の清きに魚(うお)のすみかねて もとの濁りの田沼恋し...
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