●大手出版の『吉原細見』の横で自前の本を売るという戦略
堀口 もちろん大衆向けの戦略も次々に打ちだしておりまして、それが『吉原細見』(よしわらさいけん)の小売りでした。
―― はい。これはどういうものになるのですか?
堀口 はい。これは、『吉原細見』(よしわらさいけん)という吉原のガイドブックです。もともと日本橋の老舗の大版元に鱗形屋(うろこがたや)というのがありますが、そこが販売を独占して出版していたものなのです。
鱗形屋といえば『金々先生栄花夢』(きんきんせんせいえいがのゆめ)という作品を大ヒットさせまして、大人が読む挿絵入りのおもしろい本に黄表紙というジャンルがあり、これを流行らせた版元なのですけれども、吉原にお店を構えていた蔦重は、その鱗形屋の『吉原細見』の小売りを行なうことで、この大版元の鱗形屋とのパイプをまず築き上げるということになります。
―― なるほど。やはり吉原に店を構えていますからね。
堀口 そうなのですよ。
―― これは行った人がどのお店に行こうかというときに、地の利があるのですね。
堀口 そうです。地の利があるのです。そのかたわらで、遊女の評判記を自前で出版するようになっていったということです。
―― そのあたりがまたうまいですね。
堀口 はい。小さいながらも書店兼出版社という業態で、商売はかなり順調だったようです。数年後には独立をして、吉原の大門口の手前の道筋が五十間道(ごじゅっけんみち、ごじゅっけんどう)といいますけれど、この道沿いに自分の店を構えるようになりました。
―― ちょうどこの前の講義(『江戸名所図会』で歩く東京~吉原(2)「公界」としての吉原)でも吉原に行きましたが、イメージすると、ちょうどそこになるわけですね。
堀口 そうですね。伺いましたね。
―― はい。
堀口 見ていきますと、この『吉原細見』にも「細見版元本屋 蔦屋重三郎」と出てきております。ここにお店があったのだということです。
―― そうですね。きちんと自分のお店の場所もあるということですね。
堀口 はい(笑)。ちゃんと書いています。
―― はい。
●鱗形屋のしくじりをきっかけに『吉原細見』の版元になった蔦屋
堀口 そうしているうちに、鱗形屋...