●「三国志」の舞台となる三国時代とはどんな時代か
こんにちは。私、早稲田大学文学学術院教授の渡邊義浩と申します。今回は「三国志」の基本的な概略を話していきたいと思います。まず、三国時代は3世紀の中国のことですが、それはどんな時代だったのかを、ご説明したいと思います。
最初に「前漢」・「後漢」という国家が出ていますが、これは「漢字」や「漢民族」という言葉の語源となっている、中国を代表する古典的な国家です。ただ、漢の支配は400年も続いたため、すでに限界が訪れていて、時代が大きく変わろうとしていたわけです。
具体的には、後漢末期に起こる「黄巾の乱」から戦乱の世が始まり、その中で三国時代への移行があるわけですが、その際に二つの大きな戦いがありました。
一つが「官渡の戦い」という200年の戦いで、このときに袁紹(エンショウ)を破ったのが曹操(ソウソウ)という人です。曹操が基本を築いていくのが「魏」という国家になります。しかし、曹操が中国を統一しようとしていた208年に「赤壁の戦い」が起こり、曹操は敗れていきます。曹操を破った主力となった孫権(ソンケン)の建てた国家が「呉」、劉備(リュウビ)の建てた国家が「蜀」ということになります。
こうして220年以降、魏・呉・蜀の三国が並び立っていく「三国時代」へと移っていくわけです。
●『三国志』時代の中国を地図で見る
三国時代は、地図で見ていただくと、魏・呉・蜀がだいたい1:1:1ぐらいの大きさで存在しているように見えます。しかし、古代中国では、ここ(魏)に流れている黄河の流域、いわゆる「華北」が生産の中心でした。こちら側(呉・蜀)の長江の方が発展していくのは、三国時代より後のことです。
三国時代に先立つ後漢という中国王朝は13の州から成っていました。それで配分すると、9(魏):3(呉):1(蜀)ぐらいの比率になります。それがもともとの国力のあり方だと考えていただいていいと思います。したがって、魏が優勢であることは圧倒的に明らかであり、呉と蜀が手を結んで魏と戦っていく。これが、三国時代の基本的な形となっていきます。
しかしながら、魏や呉や蜀が三国を統一できたわけではなく、三国を統一していくのは、魏から出てくる「晋」(西晋)です。これは、諸葛亮(ショカツリョウ)と激しく戦った司馬懿 (シバイ)の孫、司馬炎 (シバエン)...