●禹は九州を回り山と川両方を治めていった
『書経』の中に「禹貢(うこう)」という欄があり、禹がどうやって洪水を治めていったか、その詳細が記された部分があります。「九州」という言葉は日本でも使いますが、中国にも九州という言葉があります。冀州、兗州、青州、徐州、揚州、荊州、豫州、梁州、雍州を九州、要するに中国だと言っています。ちょうど禹の頃も、ほぼ現在の中国と同じような広大無辺な地域で、ここでいろいろな河川がたびたび氾濫し、洪水が起こっていたのです。なんと禹は、九州全土を回って見事にこれらを治めました。しかし、文章を読んでみますと、ただ洪水を治めただけではないことが分かります。
まず冒頭に「禹土を敷(し)き山を随(こぼ)ち木を刊(き)り、高山大川を奠(さだ)む」とあります。これは名文です。禹が土地をしっかり平安にしました。すなわち、山を削り、木を切って平地にし、農耕地にしたという意味ですね。「高山」と「大川」ですが、この言葉には、山の神と川の神という意味が込められています。つまり、山の神と川の神との共同作業によって川が治められたのです。川を治めるには、同時に山を治めなければならないので、山と川と両方を治めていったということです。
●平地を農耕地に変え、土壌検査も行った
第1節「冀州」から始まり、禹は九つの州を回っていろいろなことをします。まず冀州ですが、「既に壺口(ここう)を載(おさ)め、梁及び岐を治む」。これは、「壺口」という川を治め、「梁」及び「岐」も川ですが、これらを治めたということです。
「既に太原(たいげん)を修めて、岳の陽に至る」。今でも太原という街がありますが、そこを治めて、岳の陽という所に向かい、治山治水を繰り返していきます。ですから、この文章からいえば、方法は一気呵成ではなく、川を一つ一つ整備していきます。さらに、川を整備するだけではなく、平地をなるべくうまく使い、農耕地になるようにします。農耕には水が何といっても重要ですから、ただ川を治めるだけでなく、農耕作業用の水路を非常にうまく張り巡らせて、周囲を肥沃な土地にどんどん変えていったことが、この部分に見られます。
「覃懐(たんかい)は底(つい)に績し、衡漳(こうしょう)に至る」。これは場所や川の名前のことですが、そういうものを一つ一つ肥沃な価値ある土地に変えていったこ...